自分と「向き合い」、いまを「楽しむ」
経験が自信になり虹の道が見えてくる。
日本では虹は7色と言われていますが、アメリカやイギリスでは6色、ドイツでは5色という人が多いようです。
同じものを見ても、違って見えるのが人間。
人生も色々な道があっていいと思います。
東京YMCA高等学院は、多彩な専門科目があり、さまざまな価値観を持つ人たちとの出会いがあります。
そして何より、「自分の道が見つかるまで一緒にいよう。」そうYMCAは考えています。
東京YMCA高等学院は、一人ひとりを大切にする、あなたの未来を拓くサポーターです。
YMCAが考える教育理念・教育方針
<教育理念>
イエス・キリストに倣って、精神・知性・身体・社会性のバランスのとれた成長を願う全人教育を展開する。
<教育方針>
- 神様から与えられたすべてのいのちを生き生きと活かす。
- 違いを認め合って共に生きる。
- 多種多様な人、場、価値観と出会う。
- 豊かな知性と健康なからだを育む。
- 自分自身を知り、未来に向けての歩みを確かなものにする。
これらのことを教職員・生徒が力を合わせて実現する。
ロゴマークについて
精神(Spirit)、知性(Mind)、身体(Body)の3つの側面が調和された全人的成長を目指すことを示しています。
正章には、赤三角をモチーフにして真中にJOHN17:21と書かれています。
これは聖書の一節「みんなの者が一つとなるためであります」を示しています。
YMCAは国や民族の隔たりを超え、あらゆる違いを認め合う人を育てます。
青少年教育のパイオニア
YMCAは、1844年イギリス・ロンドンで誕生しました。
産業革命が進み、青年を取り巻く環境が悪化する中、ジョージ・ウィリアムズ(George Williams 1821-1905)が12名の仲間と共に同世代の人格的成長や生活改善を願って組織したのがYMCAの始まりです。
YMCA運動は全世界に広がり、キリスト教精神に基づき、世界平和を願う国際理解、青少年の職業教育、すべての年齢層におよぶスポーツと健康づくりなど、常に時代が求めている様々な活動を展開し、現在では119の国と地域で約5,800万人が活動しています。
日本においては、1880年(明治13年)に日本で最初のYMCAとして東京YMCAが設立され、教育、運動、地域社会の発展に幅広く貢献してきました。幼児教育・保育事業、国際、野外教育、ウエルネス(健康教育)、障がい児・者プログラム、専門学校などの活動を展開しています。東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。
意外と知られていない、YMCAつながりのものたち
YMCAって名前は聞いたことがあるけれど、実際どんなところなの?
実は、意外に知られていない、YMCAがはじめたモノやコトが、結構あるんです。
そのうちの、いくつかをご紹介します。
バレーボールとバスケットボールの考案者
アメリカのYMCAで体を動かしながら、人間関係を形成していくために考案されたスポーツに、バレーボールとバスケットボールがあります。ボールをもって走っちゃいけない、とか手でボールを持っちゃいけないとか、何かと不自由なルールを設けて、多くの人が声を掛け合い、力を合わせることで、たくさんの人間関係が育まれていきました。第5回・第6回極東オリンピックでは、バスケットボールの日本代表は東京YMCAチームでした。
日本最初の室内温水プール
東京YMCAは1917年に日本で最初の室内プール、総合体育館を作りました。他に温水プールは無かったので、オリンピック選手の練習会場になっていました。当時の日本は水府流や神伝流という泳法に代わって、効率の良い泳法としてクロールを伝えました。また、YMCAの会員は当時男性だけだったこともあり、水着を着用せず、全裸で泳いでいました。
「青年」という言葉を作ったのは、YMCA
昔は、人の成長は、こんな風に考えられていました。赤ん坊⇒童(わらし)⇒元服(大人)だそうです。子どもは12歳の元服でいきなり大人になったのです。日本に最初のYMCAが出来るとき、日本語で「東京基督教青年会」と訳しました。Youngという言葉を「青年」と訳した最初の出来事です。それ以降、子どもからいきなり大人になるという成長ではなく、青年期、つまり青春時代があることが認識されるようになりました。
ボウリングレーンとピンボーイ
今や手軽なレジャー系スポーツとして楽しまれているボウリングですが、日本での普及にはYMCAも大きな役割を果たしました。東京YMCAの体育館にはボウリング・アレーが整えられました。当時は自動で倒れたピンをたてることは出来なかったので、ピンボーイと呼ばれる人が、ピンを立て直していました。
キャンプ活動
昔は、人の成長は、こんな風に考えられていました。赤ん坊⇒童(わらし)⇒元服(大人)だそうです。子どもは12歳の元服でいきなり大人になったのです。日本に最初のYMCAが出来るとき、日本語で「東京基督教青年会」と訳しました。Youngという言葉を「青年」と訳した最初の出来事です。それ以降、子どもからいきなり大人になるという成長ではなく、青年期、つまり青春時代があることが認識されるようになりました。
障がいのある人と共に
1953年神戸YMCAは、当時はまだ家の中に隠されていた身体障がいのある子どもたちを集めて肢体不自由児キャンプを開始しました。1970年代には知的障がいのある子どもたちの余暇活動に取り組み始め、1990年代には日本では知られていなかったLD・発達障がい児への支援として、ソーシャルスキルトレーニングクラスを開始したり、キャンプを開催し、障がいのある人と共に生きる取り組みを続けています。