2020.05.23
on-line授業と「一緒にいる」ことの意味 スタッフのつぶやき
コロナウイルス感染拡大防止によって、思わぬ長期にわたって誰もが「引きこもる」生活を
余儀なくされています。
生徒たちに意見を聞くと、「早くみんなに会いたい!」という意見の人もいるし、「このままでいい」という人もいました。大好きな両親が家にいることが嬉しいからという意見。
自分は引きこもりが長かったのだけど、周りが自分に近づいてきたという感覚を持つ人も。
Zoomを利用したon-line授業やon-line会議、on-line雑談会?がたくさん開催されました。
一緒にいれば伝わる空気感が、やっぱりon-lineでは伝わり辛く、
気づこうと努力するので、知らず知らずのうちにつかれてしまうこともありました。
一方で、on-lineでなら、カメラオフもできるし、
学校には行きにくかった人の出席率が上がる現象も見られました。
離れていても、繋がっている安心感って大きいのだなと思わされました。
なるほど。
再開したら、逆に出ていけなくなっちゃう人もいるだろうな。
元通りの世界に戻るのではなく、似ているけれどちょっとズレていて、
実際にははっきり違う世界になっているのだな。
トレッシングペーパーがずれてしまったみたいに。
そう思わされました。
僕たちには何ができるだろう。
目に見えないウイルスとの闘いの日々の中で、
物理的に傍にいることだけが、そばにいることじゃないと確認させられ、
同時に身体感覚の重要さ、
乗り越えられない、「共にいること」の重要さを改めて痛感します。
物理的に離れていたら繋がることは不可能だ、というわけじゃないですね。
距離を超えたつながり、時間を超えたつながりは、確実にある。
もう会えなくなってしまってからの方が、より近くあなたを感じる。
そういうことって確かにある。
でも一方で、身体性を持った「一緒にいる」でなければ実現できないことも確実にある。
身体をもって生まれてきている意味は、大変大きいです。
この隔離の日々に、「一緒にいる」とは何か、改めて深く考えさせられます。