私たち東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。

日本初の室内温水プール創設
1917年(大正6年) -水泳事業のパイオニアとして-



日本におけるYMCAのはじまり
初代体育館が設立されるまで

1880年(明治13年)日本ではじめて、YMCAが東京に設立されました。1907年(明治40年)、当時の総主事である山本邦之助が北米YMCAを視察します。アメリカの各地で活発に行われている体育事業を目にした山本は帰国後、青少年の成長に必要なこととして日本での体育館建設を強く進言したのです。しかし、その申し立てはすぐには理解されず、決定に至るまでに約5年かかりました。契機となったのは1911年、北米YMCAから9万円の寄付があったこと、また当時理事長だった江原素六(衆議院議員/麻布中学校創設者)が渡米の機会を得、北米YMCAを見学したことから1913年、体育館とプールの建設が正式に決定。山本の帰国から9年を経た1917年に竣工となりました。

北米YMCAから東京YMCAへ
バスケットボール・バレーボールのはじまり

1891年(明治24年)北米YMCAのジェイムズ・ネイスミスによりバスケットボールが考案されました。続いて、1895年(明治28年)北米YMCAのウィリアム・G・モーガンがバレーボールを考案。双方とも現在まで続く人気スポーツへと成長しました。
日本では1908年(明治41年)、国際YMCAトレーニングスクール(現:米スプリングフィールド大学)を卒業した大森兵蔵が東京YMCA主事に就任。バスケットボールやバレーボールを紹介・普及しました。

YMCA初代体育館建設
室内温水プールのはじまり

現在では日本全国に普及している室内温水プールが最初に建設されたのは、1917年(大正6年)のこと。当初は、体育館のみ建設の予定でしたが、日本YMCA体育事業育ての親であるフランクリン・ハーレット・ブラウンが、建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズらに室内温水プールを加えることを提案したのです。
こうして東京YMCA初代体育館の3階建ての建物の中に、温水プール・シャワー・バス・更衣室・各種運動施設などが作られました。当時は東洋一と言われ、画期的な施設として注目を集めます。このプールでは「水府流」や「神伝流」などの古式泳法にかわって、クロールやバックストロークなどの近代泳法が研究されました。

ボウリング、ハンドボールなど
珍しいスポーツを多数導入

初代体育館にはプールだけでなく、各種体育室やボウリングアレーも設置されました。庶民は「兵式体操」で充分と言われていた時代に、ボクシング・フェンシング・器械体操・ウォールハンドボールなど日本では珍しかったスポーツを次々と紹介し、当時の青年たちに楽しい体育活動の場を提供しました。

日本初・飛びこみのスプリングボード

アメリカから伝わり現在まで続く
バックストロークのかたち

1919年(大正8年)の5月F・H・ブラウンが、当時のアメリカの最先端の泳法として紹介したのが、クロールを逆さまにしたようなバックストローク。それを聞いた枝吉彦三はその場でプールに飛びこみ、泳いでみせます。これが、現在まで広く普及している背泳ぎが日本ではじめて披露された瞬間です。これまでの日本型背泳ぎは、平泳ぎを逆さまにしたような泳法でした。
同年8月枝吉は、新型バックストロークにて関東水泳大会にのぞみますが、観衆からは笑いがあふれたといいます。しかしその後も熱意を持って練習を続け、枝吉は新型背泳ぎの普及におけるパイオニア的存在となりました。1921年(大正10年)ごろからは、世間一般に新型背泳ぎが浸透したといいます。

1mのスプリングボードの設置
飛びこみを覚える青年たち

日本ではじめて飛びこみ台が設置されたのも、東京YMCAの室内温水プールでした。設置されたのは、高さ1mのスプリングボード。当時のYMCAの機関紙「東京青年」でも紹介されています。

関東大震災後、体育館を避難所に提供

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で、東京YMCAの本館は全焼。築6年の体育館は火に包まれたものの壁や柱は残り、その後1年間、避難所として市民に提供され救護活動の拠点となりました。プールは大きな損壊もなく、2月にはパリオリンピックの水泳選手らが練習を再開しました。

オリンピックをはじめ数々の水泳選手を育てたプール

1932年(昭和7年)ロス五輪水泳選手の壮行会(初代東京YMCA会館前)

トップクラスの選手が集い
合宿・記録会を行った歴史

東京YMCAの室内温水プールは、日本の水泳界の国際化にも貢献しました。当時は温水プール施設がほとんどなく、オリンピックの水泳選手もYMCAのプールを使用していたのです。選手の中には、1928年(昭和3年)アムステルダムオリンピックで800mリレー銀メダルを獲得した高石勝男選手、戦後では1949年(昭和24年)の全米選手権で400、800、1500m自由形の世界新記録を樹立し「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進選手などがいました。
また、会館は強化合宿場の会場としても活躍しています。体育館のほかに、ホテルやレストランも備えられていたため、最適な合宿会場だったのです。1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピックでは、ほぼすべての種目の金メダルをとった日本選手たちが、東京YMCAで事前合宿をしました。他にもさまざまな記録会の会場に選ばれており、日本のトップクラスの選手たちの歴史がたくさん詰まっています。

  • ロサンゼルスオリンピック強化合宿
  • ベルリンオリンピックトレーニング
  • オリンピックに向けてのテーブルマナー習得

はだかで泳ぐ男性たち

はだかで泳ぐ男性会員たち(写真撮影時のみふんどし着用)

洗身をはじめとする
さまざまなルールの設立

当時のYMCA会員は男性のみで、はだかで泳ぐことが規則とされていました。また、水質を保つためプールに入る前に、石けんを使って頭と身体をきれいに洗っていたといいます。「飲み水の中で泳ぐ」という水質保持へのこだわりは、現在にいたるまで守られているYMCAの伝統です。ほかにも、入会前には健康診断を受けること・長時間水中にいると身体に害があるので40分までとすることなど、あたらしい施設の運営のためにはさまざまなルールが作られました。こうして、たくさんのYMCA会員たちが、水泳愛好家や水泳選手へと育っていきました。

  • シャワー室。水泳前の洗身は伝統の規則
  • 東京YMCA体育館内のロッカー室

非常時における
YMCA式ふんどしの締め方

初代のプールは水質の管理のため、はだかで泳ぐことが規則となっていました。写真撮影や来賓訪問などの特別な場合にだけ、東京YMCAが貸し出す消毒済みのふんどしの着用が認められていたのです。

戦中から戦後のYMCA 活動の中止と会館接収

空襲をまぬがれた東京YMCA会館

第二次世界大戦時のYMCA
プール接収と返還までの軌跡

戦時中は運動を楽しむ空気はなく、もっぱら「鍛練」が目的とされました。燃料不足のため1940年(昭和15年)以降は温水を使用できず、名称も「大東亜体育館」と変更。1944年(昭和19年)以降はすべての体育事業の中断を余儀なくされました。
東京YMCA会館は体育館の一部をのぞき戦災をまぬがれましたが、戦後直後の1945年(昭和20年)12月、GHQに接収され米国軍婦人宿舎となりました。そのため東京YMCAは富士見町の日本神学校校舎に移転し、レクリエーションやデンマーク体操の講習会などを開催していたと記録されています。4年後の1949年(昭和24年)6月、元YMCA協力主事でGHQ民間情報教育局青年部長として再来日していたラッセル・L・ダーギンの尽力もあり、YMCA会館は無事に返還されました。
返還の翌7月にはプールが再開。「初心者講習会」の募集は瞬く間に定員いっぱいになり、再開を心待ちにしていた会員でにぎわいました。

YMCA内の医務室。
当時は入会前に健康診断を受けるよう決められていました
YMCA協力主事のラッセル・L・ダーギンは、1919年(大正8年)に来日し1942年(昭和17年)まで青少年活動を指導しました。
その後一時帰国し、1945年(昭和20年)にGHQ民間情報教育局青年部長となって再来日。YMCA会館の返還に尽力しました。日米親善と青少年事業の発展にも貢献しています。

当時から続いているYMCA水泳イベント

YMCA恒例の水上のお祭り
~会員の交流のために~

YMCAは水泳においても会員同士の交流を大切にしており、古くから水泳祭などを開催しています。年間を通じて、さまざまなプログラムが組まれ、大勢の人が水上でのイベントを楽しみました。

  • 競技・たらい合戦

    大きなたらいにのって
    相手を落とした方が勝者となる

  • お面をつけて泳ぐ!?

    当時大流行していたアニメ「のらくろ」のお面をつける、のらくろ競泳

  • 水上の剣道大会

    プールの中で行われる剣道大会。
    水の中で戦うため大変動きにくい

  • 緊急時の救急法講習会

    緊急時の対応を学ぶ講習会。
    救助方法などを学んだ

  • 水上のクリスマス祝会

    プールで行われたクリスマスパーティー。
    サンタさんもいかだに乗って登場

  • パン喰い競争

    ほかに「魚釣り」「はたき落とし」「瓜取り」「水馬戦」「帽子とり」なども行われた

女性にも門戸を広げたYMCA

2代目室内温水プールへと
バトンをつないでいく

1963年(昭和38年)、日本における水泳の導入と普及に大きな貢献をした初代の室内温水プールは、46年の歴史に幕を閉じました。同時に、2代目の室内温水プールにバトンをわたしていくこととなったのです。
1965年(昭和40年)3月31日、待望の第2代東京YMCA体育館が竣工。地上5階建ての立派な施設で、屋上には駐車場、地下にはプールが設置されました。さらに、これまで男性会員のみだったYMCAに女性も参加が認められるようになったのです。

  • 子ども水泳教室
  • 第一回東京YMCA少年少女水泳大会
  • 親子で楽しむ水泳(ファミリースイム)

高齢者プログラム・水中健康クラス

0歳から100歳まで楽しめる
YMCA水泳教室のプログラム

1960年代からは「0歳から100歳まで」をスローガンに、対象者の拡大をはかりました。成人男性や子どもだけでなく、婦人(1965年/昭和40年・東京)や幼児(1966年/昭和41年・東京、神戸)のクラスも開始し、また1966年(昭和41年)には台湾YMCAの要請で、台湾での指導がはじまりました。1976年(昭和51年)には、名古屋YMCAでベビースイミング指導を開始。日本で最初のプログラムが行われました。さらに、1983年(昭和58年)在日本韓国YMCAプールにて、ウォーターエクササイズが誕生。水中健康法の主力プログラムとなり、現在でも高齢者プログラムに欠かせないものとなっています。

  • スクーバダイビング講習会
  • 1966年(昭和41年)スタート・幼児水泳
  • 台湾派遣水泳コーチ団

水泳指導者講習会

日本全国に広がっていく
YMCAの水泳指導

1970年(昭和45年)「日本YMCA体育前進三カ年計画」が決議されました。それにより1971年(昭和46年)6月に、第一回日本YMCA認定アクアティック指導者養成講習会が、東京で開催。水泳指導者養成への取り組みが本格的にスタートしました。同時に、日本YMCAの水泳指導基準、指導者資格、ワッペンテスト基準、水上安全法が定められたのです。
またこの「計画」により、神戸、横浜、千葉など全国各地で近代的な施設が拡充されていきました。その結果、指導者数も参加者数も増え、YMCAの水泳は飛躍的な発展を遂げることとなったのです。

指導者講習会のハンドブック。
時代に合わせ研究・改訂作業を続けています

ワッペンテストの開始
水泳に力を入れる人々

1年間を3期にわけて各学期末に行われるテストでもらえるワッペン。YMCA独自の基準にもとづいて、学期間の成果を10段階に分けて評価します。1971年(昭和45年)から続いている伝統の等級システムです。

日本ではじめての
全日制体育系専門学校を開校

1980年(昭和55年)、東京YMCA創立100周年と同時に、社会体育の指導者を養成する東京YMCA社会体育専門学校(現東京YMCA社会体育・保育専門学校)が神田に開校しました。日本ではじめての全日制体育系専門学校です。このころ日本では、全国で民間のスポーツクラブや公共体育施設が増え、スポーツインストラクターの必要性が高まっていました。そのためYMCAは、長年に渡りつちかってきた体育指導者養成の理論と方法を、広く世に提供することを決め、多数の指導者を育て、送り出していくことにしたのです。卒業生は現在も、水泳のインストラクターなどとして、さまざまなスポーツ施設で活躍しています。

専門学校のプログラム・着衣泳授業
  • 専門学校の水泳授業
  • 現在の「東京YMCA社会体育・保育専門学校」

全国に体育指導者を送り出す
YMCAの目指した未来

1980年(昭和55年)に開校された東京YMCA社会体育専門学校は、現在は東京YMCA社会体育・保育専門学校として、アスレティックトレーナーやフィットネストレーナー、インストラクターの他、保育士も養成しています。

YMCAが残した大きな功績とアクアティックプログラム

YMCAは日本における水泳事業のパイオニアとして、室内温水プールの創設、水泳指導の普及、水泳指導者の養成など、大きな功績を残しました。また、可動床式プールの設置、水中スポーツの導入、高齢者を対象とした水泳・水中運動指導など、多様なプログラムも開発しています。水泳を教えるだけでなく、水の事故から大切な命を守るための着衣泳指導、心肺蘇生法講習などにも力を入れています。
そして何より、ただ単にプログラムを行うのではなく、仲間や指導者とのよい関係を作り、「精神・知性・身体・社会性」のバランスのとれたよりよい生き方を目指す「ウエルネス」の概念を広めました。これからもYMCAは、人がより健康で幸せに生きていくための「アクアティックプログラム」を開発していきたいと願っています。

  • 障がい者を対象とした水泳教室の様子
  • 着衣泳前の水上安全を伝える紙しばい
  • 小学校での着衣泳指導の様子
  • 北京YMCAに社会体育・保育専門学校生を派遣
  • 足ヒレを使って泳ぐフィンスイミングの様子
  • 心停止の際に使われるAEDの使用講習
  • 他団体の大会運営に学生・スタッフを派遣。写真はKousuke Kitajima Cup2017年1月
  • 東日本大震災後、被災地小学校でプール遊び。子どもたちを励ましています。
  • YMCAの水泳クラスでは学生ボランティアが活躍。いつの時代も手厚い指導と楽しい交流を大切にしています