杉並
ウォーキングのご案内 ~飛鳥山からシダレサクラの六義園~(WHO)3/23
「ウォーキング・ホリデー・オギクボ(WHO)」は、月に1度、東京近郊を歩く会です。 健康作りや仲間作りを目的に1997年に開始。以後20年余、会員ボランティアが中心となって、欠かさず開催しています。
第228回となる2019年3月は、飛鳥山から六義園を訪ねます。
どうぞお気軽にご参加ください。
==【2019年3月のご案内】==
東京では、サクラといえば、ソメイヨシノ一色でしたが、近年、さまざまなサクラが植栽され、長い期間、花を楽しめるようになりました。今月は、江戸時代からの花見の名所、飛鳥山からシダレザクラが見ごろを迎える旧大名庭園、六義園まで、心がけてゆっくり歩きましょう。
北区王子は、石神井川が隅田川に注ぐ地、幕末から明治にかけて、水利、水力を生かした近代化産業の発祥の地、産業化遺産があります。
由来のある寺社も併せて、散策甲斐があります。
六義園のシダレザクラ |
日没~21時までライトアップ |
六義園のシダレザクラ |
日没~21時までライトアップ |
【日にち】2019年3月23日(第4土曜) 9:45~14:45頃
【コース】JR王子駅⇒お札と切手の博物館⇒装束稲荷⇒王子稲荷神社⇒名主の滝公園⇒王子神社⇒音無橋⇒飛鳥山公園(飛鳥山博物館・渋沢史料館・紙の博物館)⇒西ヶ原一里塚⇒ゲーテ・ポケットパーク⇒西ヶ原駅⇒<南北線>⇒駒込駅⇒六義園⇒JR駒込駅
*当日、コースの一部変更をすることもあります
【集 合】JR王子駅北口改札前 9:45
【解 散】JR駒込駅 14:45
【持ち物】弁当、飲料、敷物、雨具、名札
【参加費】300円
*初参加の方は、名札代200円別途。
*施設入場料、交通費は別途
【問合せ】東京YMCA杉並センター
*事前の予約は不要です。現地に集合ください。
*ご不明な点などありましたら、下記フォームからご連絡ください。問合せフォーム
【今回のみどころ】
◆江戸の花見:花見は、本来、農村の豊作を願う「まつり」であった。江戸時代になって、サクラの名木を愛でるようになった。各地の名木を紹介するガイドブックも発行された。その江戸「花見」が大きく変わったのは、寛政年間(1789~1801年)と言われる。人々はサクラの木の多くある場所に集まり、楽しむようになった。その代表的な場所が、上野東叡山、小金井橋、隅田川、飛鳥山であった。上野では、ハメをはずすことは許されなかったが、飛鳥山では仮装もできて、江戸町民は、大いに楽しんだ。
一方、石神井川も、隅田川に注ぐこの辺りでは、谷も深く、山間の温泉町の渓谷の趣だったと言われる。王子稲荷の参拝者も、商店、茶店も多く、江戸有数の観光地であった。安藤広重ら浮世絵師が300点以上残している。
◆お札と切手の博物館:一方、幕末から明治にかけて、隅田川、石神井川の水利、水運を生かして近代工業が興った。兵器、用紙、インクの製造が始まった。ここは、明治4年の創立以来、紙幣と切手を製造してきた国立印刷局の博物館。紙幣と切手の歴史が学べる。珍しい藩札や1890(嘉永3)年、長崎の商館長が将軍に献上したとされる日本最古の近代的印刷機ある。偽札防止技術の進歩も学べる。(入場無料)
◆王子稲荷神社:毎年大晦日に関八州の狐が近くの榎の大木のもとに集結して、束帯姿で王子稲荷神社を詣でると伝わる。王子稲荷神社は、落語『王子の狐』の舞台でもある。境内の崖に狐の住処だった穴が残る。装束稲荷は、装束榎にかかわる神社で、現在は、大晦日に人がここに集まり、狐の面をつけ、提灯を掲げて狐火行列で王子稲荷神社に参拝している。
◆名主の滝公園:江戸末期の名主畑野孫六が自宅の庭園を解放し、栽培した茶を出した。明治中頃、貿易商垣内徳三郎が所有者となり、塩原温泉を模して岩石を組み改造した。かつて、王子には「王子七滝」が有名だったが、現存するのはここだけ。戦後、上野精養軒を経て、都立公園となり、現在は北区が所管。
◆王子神社:元享年間(1321~1324年)に領主豊島氏が紀州熊野権現から勧請。東京十社のひとつ。
◆音無川:石神井川の別名。将軍吉宗が出身地、紀州の音無川にちなんで命名。滝の多いことから滝野川とも呼ばれ、地名の由来に。
◆飛鳥山公園:上野から日暮里、田端へ続く丘陵。戦国時代には豊島区に名を残す豊島氏の領地であった。江戸時代には旗本の領地となったが、5代将軍吉宗が返納させ、1720~21(享保5)年に飛鳥山にサクラ、石神井川畔にカエデを植え、江戸町民の行楽地にした。明治6年に上野、芝とともに日本で最初の都市型公園となった。昔も今も花見で賑わう。
◆飛鳥山の博物館:飛鳥山には、この地で始まった用紙工業に関する展示のある「紙の博物館」、日本の近代経済社会の基礎をつくった渋沢栄一の功績をしのぶ「渋沢史料館」、郡衛の穀倉の模型などを展示する「北区飛鳥山博物館」がある。(入場料は300円 *団体割引などあり)
◆西ヶ原一里塚:岩槻街道、(お成り道とも言われた)の日本橋から2番目の一里塚。
◆東京ゲーテ記念館:ドイツの文豪、ゲーテの資料が保管、展示されている。4月2日までは展示が休み。今回は門前のゲーテ・ポケットパークで休憩だけ。
◆六義園:将軍・綱吉の寵臣、柳沢吉保が賜った地に下屋敷を造営、自ら設計し、山を築き、千川上水の水を引き、7年をかけて元禄15年に完成させた回遊式築山泉水庭園。約88千㎡。中国の漢詩集「毛経」から命名された。明治になって三菱財閥の岩崎弥太郎の別邸に。昭和13年に東京都に寄付された。国の特別名勝。シダレザクラの花期にはライトアップも。(入園料大人300円、65歳以上で団体120円)
お札と切手の博物館 |
装束稲荷神社 |
お札と切手の博物館 |
装束稲荷神社 |
王子神社 |
東京ゲーテ記念館 |
王子神社 |
東京ゲーテ記念館 |
-WHO 2019年2月ご報告- 「漱石ゆかりの文の京」
2月23日、JR御茶ノ水駅前に集合したのは、27人。今回のコースは、文京区の漱石が学び教え、住んだ場所、作品に登場する箇所で結びました。
『猫』に記述のある湯島聖堂、漱石が教鞭をとった旧高等師範跡、江戸時代の古刹、霊雲寺を経て麟祥寺へ。ここには江戸城大奥で権勢をふるった春日局の墓があります。「死後も世の中を観たい」との遺言で、墓石には大きな穴が開いていました。
『三四郎』の美彌子が通った日本基督教団本郷中央教会から本郷三丁目へ。ここは、東大赤門、樋口一葉の旧居、質店伊勢屋が定番ですが、今回は地下鉄で春日へ直行。『こころ』の先生の散歩道、富坂を横切り、一葉の終焉の地、漱石が職業作家として生きる決意をした「西片の家」跡から、東大正門から構内へ。
とにかく広く大きく、学生に道を聞いても、まともに答えが返ってきません。安田講堂付近で昼食。食堂にはビールもあるそうです。三四郎と美彌子が出会った三四郎池から弥生門に抜けました。明治17年に初めて弥生式土器が発見された場所は特定されていません。詩人サトーハチロー旧居跡も、候補のひとつだそうです。
言問通りを下り、太田道灌、将軍綱吉ゆかりの根津神社へ。建物の多くが重要文化財です。漱石、森鴎外が座り思索にふけったといわれる「文豪憩いの岩」もあります。
裏門から出ると千駄木。漱石が英国留学から帰り、『猫』を書いた「猫の家」があります。漱石の前に鴎外も住んだ時期もある建物は、明治村に移築されているそうです。石碑の後ろの塀の上を歩く猫の彫像がご愛敬。団子坂に抜けて鴎外の屋敷、汐見荘跡の区立鴎外記念館前で解散し、15人ほどが入館しました。
東京大学 |
三四郎池 |
東京大学 |
三四郎池 |
日本基督教団本郷中央教会 |
弥生式土器発掘ゆかりの地 |
日本基督教団本郷中央教会 |
弥生式土器発掘ゆかりの地 |
【WHO今後の予定】2019年4月13日(第2土曜)浦和・田島ヶ原の特別天然記念物のサクラソウ自生地
※さまざまな事情で予定が変わることがあります。『WHOリポート』か新着情報でご確認ください。