私たち東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。

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【活動報告】「野川下りシリーズ3」太平洋戦争の思い出(WHO6月)

6月例会「野川下りシリーズ3」は、25日(土)でした。6月なのに「気温は34℃、快晴の真夏日」との予報。私たちは予約申し込みなしとしているので、中止連絡は難しいのです。集合して決めることにしました。

当日、西武多摩川線多磨駅で参加者を確認すると42人。皆さん元気いっぱいです、とりあえず、徒歩10分の都立武蔵野の森公園まで歩きました。戦時中は陸軍、戦後はアメリカ軍の飛行場跡地です。公園に入るなり、予定になかった管理センターに入り、戦時中の記録展示の説明を頼みました。ここの冷房もお目当てでした。

園内の「ふるさとの丘」には、全国47都道府県を代表する石の展示がありました。丘の上に立つと、伊豆諸島と結ぶ旅客機やヘリコプターが発着する調布飛行場と、公園の南部分の各種球技場が見渡せて、その広大さに驚きの声が上がりました。実は、戦後進駐してきた米軍の将兵・家族のための水耕野菜栽培農園、代々木ワシントンハイツが移転した"関東村"、東京外語大学、警察大学校の敷地もかつての「東京調布飛行場」の跡地です。

修景池に面した芝生広場には、ふだんは、子ども連れの若い家族がワンタッチテントを張って、食事や軽スポーツを楽しんでいますが、この日はまったく姿がありません。公園の気温は34℃と表示されました。「お出かけはお控えください」との園内のアナウンスに「ここまで来てから言われても」の声も。

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戦時中の陸軍戦闘機を来襲した米軍機から隠す掩体壕。(都立武蔵野森の公園)
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都立武蔵野森の公園の修景池(池の後方飛行場がある)
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戦時中の陸軍戦闘機を来襲した米軍機から隠す掩体壕。(都立武蔵野森の公園)


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都立武蔵野森の公園の修景池(池の後方飛行場がある)


公園最後の見どころは、掩体壕(えんたいごう)。戦争末期、首都防衛のため配備された「飛燕」などの戦闘機を米軍の爆撃から隠す防空壕です。土を盛り、その上に木材や鉄骨で骨組みを作り、砂利、砂、セメントで固め、土を掘りだし、壕として、上に土を被せて、草を植えてカモフラージュしたものです。

この作業には地元中学生も大勢動員されたそうです。有蓋壕は30基造られ、現在20基残り、2基を見ることが出来ました。米軍の物量にまかせた爆撃の前に戦闘機は、体当たりの特攻機として出撃したそうです。参加者の中には、昭和20年の東京下町空襲を墨田区で体験された方もおられました。 

公園を出て都立野川公園の木陰で、三々五々のお弁当。都立公園は殺菌剤を散布しないせいか,虫が元気です。食事中、薄緑の1cmほどのカマキリの赤ちゃんがTシャツに降りてきました。一人前にカマを構えてファイティングポーズをとります。ここでも、集散ではクーラーのある施設を利用しました。

人見街道沿いにある新選組局長・近藤勇の生家(宮川家)跡、産湯をつかった井戸、彼の父が天然理心流近藤周助のために建てた剣道道場跡、勇の胸像、墓所と巡りました。官軍に抵抗して、斬首の刑を受けた近藤勇も調布では英雄、調布市内には4つ銅像があり、彼の名を冠した剣道大会もあります。

家族も地元では人望があったのでしょう。 
その後、野川の相曽浦橋で、打ち止めとし、大沢の里には寄らず、バスでJR三鷹駅に向かいました。

(吉田明弘)