私たち東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。

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Special Interview「私とYMCA」

YMCAでの学びとこれからの社会

慶應義塾大学教授/東京YMCAアドバイザー
 村井 純さん
キャンプ参加/ボランティアリーダーOB

東京YMCA創立140周年およびYMCAキャンプ100年を記念し、「日本のインターネットの父」として知られる村井純さんに、YMCAで経験したこととインターネット開発の経緯、これからの社会について伺いました。(聞き手 東京YMCA総主事・菅谷淳)

*2020年7/8月号「東京YMCA」掲載より


 

YMCAで得た人間観
――村井さんはYMCAのキャンプに多数参加されていますね。
私は小学生の時から神田にあった東京YMCAのプールに通い、キャンプにも行きました。中学1年生から高校3年生までは毎年、「野尻学荘」という2週間のキャンプに参加。高校1年のときにはその交換プログラムでカナダのYMCAの「キャンプ・エルフィンストン」に行き、翌年にはカナダのメンバーたちが来日して、うちにもホームステイに来ました。
 大学1年からはキャンプカウンセラーを務め、大学2年の時には「ICCP(インターナショナル・キャンプ・カウンセラー・プログラム)」に応募してニューヨークでトレーニングを受け、アメリカでキャンプカウンセラーをしました。6月から3か月間の研修だったので大学の試験も受けられず、私は留年したんです。この年も含めて大学時代は野尻キャンプでも、まるで駐在スタッフみたいに夏中ずっとキャンプ場にいました(笑)。ですから特に高校から大学にかけて、人生の大きな部分がYMCAで育ったと思っています。
 そこで何を学んだかというと、2週間もキャンプをしていると、隠しようがないのですよね。人間が裸になる。普通の都会の日常生活は、なんとなく装ったり、人の見てくれを気にしたりしますけど、キャンプでは全部バレる。したがって裸の人間を理解する。人間の本質を理解する。そんな基本的な力っていうのかな。人を理解して関係を築く習慣っていうのか。そういう力がキャンプで身についたと思います。それはずっと今日に至るまで、今でも生きています。
 今、コロナ後の「ニューノーマル(新しい日常)」をどうするかと、世界でも日本でも毎日会議をしていて、私は今日もこれで6つ目の会議なのですが、そういう会議の中でも結局その人間観に行きつくのです。それ位キャンプのインパクトが大きかった。このことは、キャンプに参加した人はだいたい共通の思いだと思います。




2000年Gordonと再会して訪れたCAMP Elphinestone

国際的つながり 多様な友人たち
 私はさらに特別な経験をしておりましてね。先ほどのカナダとの交換キャンプでうちにホームステイしたゴードン・フランシスというメンバーに、20年以上後に偶然再会したのです。京都大学の先生が突然連絡をしてきて「今、医学部の学会をやっているが、カナダから来ている医者が、村井純って知っているかと言っている」と言うのです。それがゴードンでした。それで彼に会ったら、娘が3人いて、今度キャンプ・エルフィンストンに行かせると言うのです。私が参加したときはボーイズキャンプでしたが、カナダでは共学になっていたのですね。私も娘が2人いるのでそれじゃあ一緒に行かせようということになり、けっきょく2世代に渡って同じキャンプに行ったわけです。さらにうちの娘はその後バンクーバーで働くことになり、今もゴードンファミリーとはお付き合いが続いています。不思議なご縁です。
 それからもう一つお話ししたいのは、キャンプには、耳の不自由な子どもたちも来ていたということです。その経験があったから、私はインターネットを開発するときに、目や耳の不自由な方のアクセシビリティーや多様性について、かなり意識してきました。目の見えない人がインターネット上の文字や画像を読めない問題などを、「Webアクセシビリティー」というのですが、私はキャンプで多様性を経験させていただいたので、大学でも今でもずっとそれに携わっています。こういう問題には、自身に障がいのある研究者が携わる傾向があるのですが、私はキャンプでの経験をもって、この問題に取り組んだことになります。
 このように、私はYMCAのキャンプで、国際的な体験や多様性の経験など、たくさんの経験をさせていただいたと思っています。
――YMCAは、非常に多感な時期に人間的に成長する、人格的に成長するといいますか、そういった社会教育をずっとやってきています。今は北米のICCPはやっていませんが、台湾の学生たちが日本に来るICCPJはやっています。




学生時代の村井さん(左から2番目)野尻キャンプで

インターネット開発の経緯
――村井さんは大学時代からインターネットの開発に尽力されていますが、そもそもの経緯を教えていただけますか。
 私は、大学では工学部に入ったのですが、コンピューターは大嫌いでした。高校の時、大学のコンピューターを使うクラブがあったのですが、当時のコンピューターは大きくて、順番を待って計算をお願いするような、まるで人間が支配されているような印象がありました。私はキャンプに行って人間に関心があったし、やっぱり人間が大事で人間が中心じゃなければいけないと思っていたので、「機械のくせに偉そうな」と思ったわけです。それが1970年代になると、コンピューターも小型化して、ワープロなども作られてきた。それで人間が真ん中にいて、周りにコンピューターがあるというイメージを持てるようになりました。そこで、実際に人間を中心にすえて、コンピューターが人間のために何か役立つようなことをやろうとすると、このコンピューターはつながってなければいけないと思った。それで大学4年の頃からコンピューターネットワークの研究を始めたのです。




ネットが生んだグローバル空間
その後インターネットでコンピューターをつないでいくとき、どこまでつなぐかを考えたわけですが、私たちは国境をまったく意識しないで、人類への責任や地球への責任などを考えながら作っていったのです。だからインターネットは国境のない、人類にとってはじめての真のグローバルな空間になりました。
 印象に残っているのは「WIPO」(ワイポ=ワールド・インテリジェンス・プロパティ・オブ・オーガニゼイション」)という国連組織でインターネットに関する協議をした時、幹部の人が「はじめて本当にワールドっていうことを経験したよ」と言ったのです。98年頃でしたが、国連は国と国とのインターナショナルな調整はするけれども、それはグローバルとは違う。国家間の交渉では貿易問題などがからむけれど、インターネットにはそれがない。そういう意味でインターネットは、これまで人類がもっていなかった真のグローバルな空間を作ったというわけです。
 そのグローバルな空間は、民主主義とも違う。もっとプリミティブな、地球があって人類が生きているという、ダイレクトなこの地球の空間です。だからインターネットの重要な使命は、グローバルで持続可能なこと。今「SDGs(持続可能な開発目標)」がうたわれていますが、地球と人類の持続性や次世代への責任などにつながるような意識で、インターネットを開発してきたと思うのです。
 時折、「わが国がインターネットを管理する」と言いだす国もありますが、インターネットはナショナリズムで壊してはいけないのです。私はこれをいつも主張しているのですが、その根拠にはやはり「人間を大事にしなければいけない」という、YMCAにつながるものがあるわけです。




期待されるのはネットの"善用"
 昨年2019年は、インターネットが生まれて50年、WWW(ワールド・ワイド・ウエブ)ができて30年という記念の年でした。いろいろなシンポジウムなどで、「次の30年、50年、一番大事なことは何だろう」という議論がされたのですが、すごくたくさんの学者が「エシカル・ユース(ethical use)」つまり「善用」と言うのです。これまでの30年間、インターネットが発展していくエンジンとなったのは「経済」でした。特に90年代後半にヤフーなどの広告モデルができてからは、インターネット・マーケティングを中心にしたビジネスができて、それまでとは全然違う経済が生まれてきた。グローバルなビジネスができるようになって、スケールが変わった。
 一方で、アブユース(濫用)が増えてきた。グーグルもアマゾンもある意味でのアブユーザーではあります。個人の買い物履歴などを検索エンジンで記録して、インターネット上でもうけていくわけです。さらにはサイバーアタックや、サイバーテロなど、悪用する人たちもいる。
 いずれにしても今後はもっと最適で適切な利用をしなければいけない。それが「エシカル・ユース」だという。私はそれを日本語で「善用」と言っています。悪用の反対です。つまり人や社会に対していいことをしなければいけない。そして世界の会議でそんな議論になると、そこに日本への期待が寄せられる。多少買いかぶりかもしれないけれど、日本は、例えば災害が起こっても人を気遣って社会の規律を守って行動するとか、そんなイメージをもたれているのです。とにかくこれからは、お金だけじゃない価値観で未来を創っていくことが期待されているわけです。




コロナ禍を機に見つめ直す
―――今回のコロナ禍では、インターネットが大活躍しました。テレワーク、オンライン会議、情報共有など、インターネットがなかったらもっと大変だったと思います。
 われわれ開発者の内輪では、「インターネット開発が間に合ってよかった。完全じゃないけれど」と言っています。生意気言うなと言われそうですけども。
 今回のパンデミックを機に「ニューノーマル(新しい日常)」が問われていますが、われわれにとっても今後のインターネットについて考えるきっかけになりました。経済のため、お金のためではなくて、生活を守るため、健康のため、命を守るためにインターネットを使うということを実際に経験したことで、そもそもインターネットは何をしなければいけないのか、何をやってはいけないのかということを改めて考え直すきっかけになった。
 ちょうど今、国連の「SDGs」にも関心が高まってきて、地球に対する責任をどう考えるかが意識されるようになっていますが、その中でインターネットも、「社会的に良いことに使いますか?」「人にとって大事なことに使いますか?」と問う。「お金を軸とした使い方」だけではなく、生命のため人類と地球のために使う、そういう「未来創生」を通じて世界に貢献していくこと。そんな「エシカル・ユース」という一つの大きな軸がでてきたと思うのです。




これから先のデジタル革命
―――20年前は、今のような時代がくるとは思いませんでした。これからの20年後も、我々に想像できないような時代がやってくるのでしょうか。
 私自身もこれだけ無線の利用が広まるとは予想していなかったですね。こんなに電波が自由に使えるようになって、スマホが普及するとは思っていませんでした。
 でもデジタルデータってまだまだ未熟なのですね。例えば、おいしい料理を見ても味は送れないし、匂いもまだ伝達できない。五感に対してアプローチできてない部分がありますから、今後もまだたくさんの技術が発展をして、生活の中に溶け込んでくるだろうなと思っています。5Gやバーチャルリアリティーなどエンターテインメントや、自動運転なども発展していくと思います。
 一方で私が今一番関心を持っているのは、健康や医療分野へのデジタルデータの活用です。今回のコロナ禍でのオンライン診療だけでなく、たとえば家の中にセンサーをつけて健康管理に役立てる「スマートホーム」など、特に高齢社会の問題に対してできることはまだ山ほどあると思っています。そのためにはプライバシーの保護などセキュリティーの問題も重要ですが、今までビジネスに使ってきた技術をもっと健康と生命のためにフォーカスしていけば、ものすごい大きな貢献が、健康医療分野で生まれてくるだろうと思っています。




野尻湖で(後列左端が村井さん)

YMCAへ 期待と可能性
―――今後のYMCAへの期待や要望をお聞かせください。
 今回のコロナ禍で、授業やイベントなどもオンラインでやるようになっていますが、それによって明らかに違ってきたのは、どこからでも参加できるということですよね。オンライン会議なら世界のどこからでも参加できるし、たくさんの人が参加できる。そういった地理的な制約が解けることが、YMCAの活動にどう活かされてくるのか。
 もちろん野外教育を中心としたキャンプ活動には、実際にそこに一緒にいて、生活を共にする中で生まれてくることがたくさんありますが、たとえばキャンプの後、各地に戻っていった仲間たちのネットワークを組み立てていけば、ものすごい力になるのではないか、全く違うことができるのではないか。アクセシビリティーの問題もまた常に考えるべきですが、これを機会にぜひ検討されると良いと思います。
 私が経験したYMCA、それからキャンプでの生活というのはとても尊いものなので、ぜひ次の世代、次の次の世代にもずっと広がって成長していってほしい、つながっていってほしいと思っています。
―――ありがとうございました。




村井純さん(むらいじゅん)さん プロフィール

慶應義塾大学教授。1955年生まれ。
1984年、日本で初めてネットワークを接続し、インターネットの技術基盤を作った。その後もネットワーク上で日本語を使えるようにするなど、日本での運用・普及に貢献してきたことから「日本のインターネットの父」と呼ばれる。現在も内閣のIT総合戦略本部員ほか多数の委員を務め、国際学会等でも活躍中。
2013年米ISOC「インターネットの殿堂」に選ばれる。
2019年フランスの「レジオン・ドヌール勲章」受章。
東京YMCAアドバイザー。