私たち東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。

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会員が語る「私とYMCA」

人のつながりこそが"財産"です

音楽家/山手コミュニティー活動委員、東京たんぽぽYサービスクラブ
 越智京子さん
保護者/各種委員

【病気でもなお、ボランティアを続け】
ソプラノの歌い手として若い頃から音楽活動を続け、今は自宅で音楽教室を開いている。取材当日は、山手コミュニティーセンターの「わくわくサロン」で歌唱指導をしていた。「先回よりも声が良く出てますよ」「○○さんは今月お誕生日ですね」。参加者一人ひとりに声をかける。自身も一緒に歌う。豊かな声量で伸びやかに歌う姿は、どう見ても体調の優れない方には見えない。

昨夏がんが発覚し、余命1年と宣告された。入退院を繰り返し、日々治療に追われながらも、「YMCAが大好きだから」と杖をつきながらボランティアを続けている。この日のサロンでも治療の副作用で熱がある中、「身内を亡くされた方や病気なさった方、いろいろな方が参加してくださるのに、私が休むわけにいかない」と、にこやかに会を進行した。

【YMCAとの出会い】
出身は博多。福岡YMCAでボランティアリーダーをしたのがYMCAとの出会いだった。結婚後は2人のお子さんを連れて山手センターに通い、キャンプ、空手、体操、グループ活動など、ほぼすべての活動に参加した。
以来、山手センターとの付き合いは45年以上になる。「優しさ、思いやり、厳しさなど。人として大切なことはすべてYMCAが教えてくれた」。今こうやってYMCAに関わり続けているのは、「子どもを育ててもらった恩返し」という。



「YMCA歌の広場 in 石巻」で歌う越智さん(2012年6月)

【YMCAの支援者として】
25年ほど前に、YMCAを支える「会員」になった。もっと前から山手センターのバザーの手伝いなど、さまざまなプログラムに携わっていたが、会員制度を知らなかったため入会が遅くなってしまったという。「もっと早く入会したかったのに」。それから越智さんは一転、YMCAをサポートする「ワイズメンズクラブ」にも入会し、文字どおり「YMCAの支援者」として精力的に活動を始めた。

まず「YMCAはアピールが足りない。もっと会員を増やすべき」と、自ら友人・知人に声をかけ、新入会員を多数紹介した。さらに「山手センター運営委員」「会員増強委員」などを歴任。持ち前の行動力を発揮していった。 先の「わくわくサロン」は約15年前、YMCAの近所のアパートで孤独死が起きたことから、「もっと顔の見えるコミュニティーを作らねば」と会員のアイデアから始まった活動だ。「一緒に歌えば健康作りにもなる」と、その歌唱指導を越智さんが引き受けた。以来15年、第3火曜日はどんな予定も断ってサロンを続けている。

2011年に東日本大震災が起きた際には、このサロンの仲間たちと共に被災地を訪問。仮設集会場などで「YMCA歌の広場 in 石巻/女川」を開催した。越智さんも16回にわたって現地を訪れ、被災者と共に歌い続けている。



東京YMCAインターナショナル・チャリティーラン会場で抽選券を販売するたんぽぽクラブの皆さん

【ワイズメンズクラブでの活躍】
2002年には、女性だけの新しいワイズメンズクラブ「東京たんぽぽYサービスクラブ」を立ち上げた。若者を育てることを主な目的とし、特に不登校など青少年の居場所「東京YMCAオープンスペースliby」のサポートに力を入れている。毎年、息子で音楽家の越智光輝さんと共にチャリティーコンサートを開催し、今年で19回目となった。自らチケットも販売して歩く。

2007年には女性で初めて「ワイズメンズクラブ国際協会 東日本区理事」に就任した。自分に何ができるかを模索し、1年間で東日本区の66のワイズメンズクラブをすべて訪問した。毎年各国で開催されるワイズメンズクラブの国際大会にも20回以上休まずに参加している。大会でも歌を披露し、自ら指揮をとって世界のワイズメンたちと歌う。言葉の壁も気にせずに会話を楽しみ、「OKYO(オキョウ)」の名前で親しまれている。

【生い立ち】
実家は久留米絣の老舗。「してもらったことは石に刻みなさい。自分がしたことは砂に書きなさい」が家訓だった。特に祖父は、人のために労をいとわない人で、その後ろ姿からボランティアの精神を教えられたという。 仏教徒の家だったが、兄弟がミッション系の幼稚園に通うなど、キリスト教は身近な存在だった。自身は、日本キリスト教団早稲田教会の聖歌隊を長く引き受けてきたことから、1992年に受洗。「熱心に聖書を読んだわけではないけれど、歌を通じて信仰が与えられた」。息子さんもケルン滞在中に受洗した。

小さい頃から歌が好きで、NHKのコンクールなどで入賞した。福岡出身の東京芸術大学教授・安永武一郎先生に音楽の道を勧められ、指導を受けた。 一番好きな歌は「サンタルチア」。取材中にも事務所の片隅で歌ってくれた。鼻歌程度の小さな声だったにもかかわらず、周りの空気までみずみずしく変わっていくような、透明でつやのある声に圧倒された。病院でも医師に頼まれて歌うというが、たしかにリクエストしたくなる。



【人のつながりこそが財産】
「笑顔と感謝」をモットーに、あらゆる活動に関わり、たくさんの人と出会った。そして今、そのつながりが自分の支えになっているという。「人とのつながりこそが財産です」。だから、今夏の韓国の国際大会にも行く予定だ。「皆さんに会うことが私のエネルギーになってます」。「東京たんぽぽYサービスクラブ」の次期会長も引き受けることに決めた。「病気になってもYMCAとの関わりは続けたい。生きがいです」。



** 取材を終えて **

体調がよくない中、長時間にわたって話してくださった越智さん。「YMCAの話をすると3~4時間くらい止まらないのよ」。こちらの心配をよそに、よどみなく語り続けた。姿勢もよく、椅子に寄りかかることもない。肌にもハリがある。 思わず美容法をうかがうと「500円くらいの化粧水と日焼け止めをたっぷり塗って、仕上げはベビーパウダー。かさつきが気になる時はメンソレータムで油分補給するの」。想定外の答えが返ってきた。健康に気を使っているのかと思うと「紅茶にはお砂糖を3袋くらい入れて飲むのが好き。自分がおいしいと思う物を食べたい」。年齢は非公開。「私はずっと50歳よ」と高らかに笑う。自由。豪快。華やか。まさにソプラノらしい主役のオーラがある。