私たち東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。

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ウォーキングのご案内 ~漱石が「猫」を書いた「文の京」~(WHO)2/23

「ウォーキング・ホリデー・オギクボ(WHO)」は、月に1度、東京近郊を歩く会です。 健康作りや仲間作りを目的に1997年に開始。以後20年余、会員ボランティアが中心となって、欠かさず開催しています。


第228回となる2019年2月は、東京文京の地を訪ねます。
どうぞお気軽にご参加ください。


==【2019年2月のご案内】==

夏目漱石は、英国留学と教師として赴いた松山、熊本を除くと、養子の時期を含めて生涯、現在の新宿、文京に住みました。私たちは、昨年5月には、新宿の名残の地を訪ねました。今回は、漱石が学び、教え、『虞美人草』『吾輩は猫である』を発表し、文筆で生きる決意をし、作品の舞台にもした文京の地を歩きます。本郷には、そこかしこに歴史的な見どころがあります。今回は、漱石が中心です。
時間がおありなら、事前に『三四郎』、『それから』、『こころ』などをお読みになれば、一層味わい深いウォーキングになるかとも思います。

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漱石が「猫」を書いた旧居跡
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東京大学の通称「三四郎池」
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漱石が「猫」を書いた旧居跡


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東京大学の通称「三四郎池」



【日にち】2019年2月23日(第4土曜) 9:45~14:45頃

【コース】JR御茶ノ水駅⇒高等師範跡⇒油島聖堂⇒本郷中央教会⇒かねやす⇒都営本郷三丁目駅⇒<大江戸線>⇒春日駅⇒富坂⇒伝通院⇒宝蔵院⇒樋口一葉終焉の地⇒漱石の西片町の家跡⇒東大正門⇒三四郎池⇒弥生式土器発見の地⇒サトウ・ハチロウ旧居跡⇒根津神社・文豪憩いの岩⇒猫の家⇒森鴎外記念館⇒団子坂⇒メトロ千代田線・千駄木駅
*当日、コースの変更をすることもあります


【集 合】JR御茶ノ水駅聖橋口改札前  9:45
 
【解 散】東京メトロ千代田線千駄木駅 14:45
  
【持ち物】弁当、飲料、敷物、雨具、名札

【参加費】300円 
*初参加の方は、名札代200円別途。
*施設入場料、交通費は別途

【問合せ】東京YMCA杉並センター
*事前の予約は不要です。現地に集合ください。
*ご不明な点などありましたら、下記フォームからご連絡ください。問合せフォーム



【今回のみどころ】
◆湯島聖堂:5代将軍綱吉が上野から移した孔子廟。後に幕府学問所に。『猫』で、牧山老人が儒学を学ぶ。

◆旧東京高等師範学校跡(現筑波大学):漱石が東大生時代に英語教師を務めた。

◆かねやす:江戸時代に「本郷もかねやすまでは江戸のうち」といわれた薬粧・小間物店。

◆東京大学:加賀藩上屋敷跡地。第一高等中学校、東京帝国大学で漱石が学び、英国留学後、英文科講師としてそれぞれ4年間勤務。

◆東大心字池:前田藩邸の庭園の池。『三四郎』で、三四郎と美彌子が出会う。通称三四郎池。

◆富坂:『こころ』で先生の散歩道。Kとお嬢さんが連れ立って歩いているのに出会う。

◆傳通院:
家康の生母お於の方の菩提寺。徳川家ゆかりの女性の墓が多くある。『三四郎』では、近くに美彌子が住んだ。

◆西片町の家跡:西片町にあった漱石2番目の住居跡。新宿の漱石山房に移転するまで住み、『虞美人草』『野分』を執筆。漱石と魯迅が同居した時期があった。

◆弥生町遺跡:昭弥生式時代の名の由来になった土器が1884(明治17)年に発見された。場所は特定されておらず東大構内、サトウハチロー旧居跡などに5か所の説がある。

◆根津神社:日本武尊が創建、太田道灌が再興したと伝わる。将軍綱吉が社殿を造営。本殿、唐門など重要文化財。漱石や鴎外が腰かけて想を練った「文豪憩いの岩」がある。裏門坂は、『道草』で健三と島田が出会う。

◆猫の家跡:現・向丘にある漱石の最初の借家跡。『猫』の舞台。鴎外も観潮楼に移るまで住んだ。旧居は明治村に移築。

◆森鴎外記念館:鴎外が没するまで30年住み、多くの名作を残した。入場料300円。

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鴎外、漱石が思索をめぐらした根津神社
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鴎外、漱石が思索をめぐらした根津神社







-WHO 2018年12月ご報告- 「スーツを脱いだ東京・丸の内」

1月26日は、北関東は降雪も危ぶまれました。JR東京駅丸の内駅舎北口に集合したのは、36人。駅前に立つと、かつてのビジネス街は高層ビルが林立。しかし、多くのビルは正面の低層部分に面影を残していて威圧感はありません。見学先の開館時間があり、一筆書きでは歩けません。JR本社、丸の内ホテルが多目的ビルのオアゾに変身。セセッション様式の日本工業倶楽部会館から、丸の内のランドマーク、丸ビルへ。大正12年に創建された初代ビルの基礎を支えた松の丸太5,443本のうち2本が保存展示されています。

丸の内は江戸時代には大名屋敷地で明治になって陸軍練兵所となり、その後、岩崎家に売却されました。その三菱ヶ原に明治27年、最初に建った三菱一号館は、昭和43年に解体され、今はその煉瓦建てのレプリカ(美術館)や植え込み、商業施設、高層のパークビルに再開発されています。日比谷濠に沿って南へ。明治生命館は、昭和9年に建った重要文化財。ギリシャ神殿を思わせるコリント式の円柱には、圧倒されます。現在も使用されている現役ですが見学ができました。戦後、駐留米軍に接収されましたが,解除後に復旧したそうで、大理石の壁、柱、調度品も重厚で見ごたえがありました。
昼食は新国際ビルの地下レストラン街で思い思いの店でとりました。

連合軍総司令部が置かれ、マッカーサーが執務した第一生命館には入館しましたが、執務室は非公開。ここから、日本最初の都市公園、日比谷公園に入り、建て直しが話題になっている公会堂、野外音楽堂を眺めました。日比谷通りを渡るとかつての日比谷映画街へ。ミッドタウンなどに集約され、整然とはしましたが、映画看板が立ち並び、行列のあった昔日の熱気は失せてしまっていました。大名小路と呼ばれた丸の内仲通りを再び東京駅へ。東京国際フォーラム、丸の内のはしゃぎの中心、東京中央郵便局改めKITTEビルを抜けて、トリは、新丸ビル7階の東京駅丸の内駅舎の全景のビュースポットでした。



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初代丸ビルの基礎工事に使われた丸太
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重文・明治生命館の内部の大理石の柱と壁



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初代丸ビルの基礎工事に使われた丸太


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重文・明治生命館の内部の大理石の柱と壁



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東京国際フォーラム
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東京駅丸の内駅舎の新しいビューポイント
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東京国際フォーラム


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東京駅丸の内駅舎の新しいビューポイント



【WHO今後の予定】2019年3月23日(第4土曜)北区の歴史遺産と六義園のシダレザクラ

※さまざまな事情で予定が変わることがあります。『WHOリポート』か新着情報でご確認ください。