私たち東京YMCAは、「青年」という言葉を生み出し、「たくましい子どもたち、家族の強い絆、支え合う地域社会」を築くための運動を展開する公益団体です。

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ウォーキングのご案内 ~スーツを脱いだ"東京丸の内"~(WHO)1/26

「ウォーキング・ホリデー・オギクボ(WHO)」は、月に1度、東京近郊を歩く会です。 健康作りや仲間作りを目的に1997年に開始。以後20年余、会員ボランティアが中心となって、欠かさず開催しています。


第225回となる2019年1月は、東京丸の内を訪ねます。
どうぞお気軽にご参加ください。


==【2019年1月のご案内】==

近年、東京で最も変わった街は、"丸の内"付近でしょうか。
明治以来、東京の表玄関・東京駅と皇居外苑に挟まれたビジネス街として、"働く人の街"でした。人もビルもビジネススーツを着て、格調ある重厚なたたずまいでした。
1991年の都庁の移転に始まり、東京駅の再生工事、丸ビルの改築によって、すっかり街の雰囲気が一変、ビジネス、アート、ショッピング、エンターテイメント、コンベンションにグルメと、休日も人が集まる街になりました。いささか、はしゃぎすぎとも思える街を、冬の週末、大きくひと回りします。

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【日にち】2019年1月26日(第4土曜) 9:45~14:30頃

【コース】

JR東京駅⇒丸ノ内OAZO⇒新丸ビル⇒日本興業倶楽部ビル⇒丸ビル⇒三菱一号館⇒同美術館⇒明治生命館⇒御幸通り⇒和田倉噴水広場⇒皇居外苑⇒楠木正成像⇒DNタワー21(旧第一生命館)⇒日比谷公園⇒日比谷有楽街⇒KITTE(東京中央郵便局)⇒ JR東京駅
*当日、コースの変更をすることもあります


【集 合】JR東京駅丸ノ内北口改札前、屋外に出たところ 9:45
 
【解 散】JR東京駅丸ノ内北口 14:30
  
【持ち物】名札、寒くない街歩きの軽装
*昼食は、ビル地下の食事処で

【参加費】300円 
*初参加の方は、名札代200円別途。
*交通費は別途(今回は施設入場料は不要です)

【問合せ】東京YMCA杉並センター
*事前の予約は不要です。現地に集合ください。
*ご不明な点などありましたら、下記フォームからご連絡ください。





【今回のみどころ】
◆丸の内:徳川家康によって東京湾日比谷入り江が埋め立てられ、大名家の屋敷地となった。明治維新後軍用地を経て、10万坪が三菱に払い下げられた。その後、赤レンガのビル街、オフィス街に発展。大正、昭和期に鉄筋コンクリートのビル街となり、1990年代以降、時代の要請からリニューアル、高層化が行われ、街も建物もビジネススーツを脱いだ。行きかう人は明らかに変わり、ショッピング、アート、コンベンション、グルメ、ファッションの空間となっている。

◆丸の内OAZO:旧JR東日本、JTB本社、丸の内ホテルなどが2004年、Office&Amenity ZOneとして開業。

◆日本工業倶楽部会館:1920(大正9)年の竣工。当時の米国のオフィスビルの典型。玄関軒上の男性がハンマー、女性が糸車を持つ像は、当時の日本の主力産業、石炭と紡績を表している

◆KITTE:旧東京中央郵便局局舎はモダン建築の傑作と言われたが、2013年に改築。1階から5階まで吹き抜けの商業ビルに。丸の内はしゃぎの中心。

◆三菱一号館:1894(明治17)年に初めて丸の内に建った煉瓦造りの三菱一号館は1968年に解体。現在の三菱一号館は、レプリカで美術館などが入る。

◆丸ビル:1923(大正12)年完成。丸の内のランドマーク。2002年に高層化。旧ビルの基礎に使った松の丸太5443本のうち1本がアートとして展示されている、5階ロビーが東京駅丸の内駅舎のビューポイント。

◆明治生命館:1934(昭和9)年竣工。ギリシャ神殿を思わせる列柱が美しいネオルネッサンス様式。日本のビルの最高傑作と言われる。
国の重要文化財。

◆DNタワー21:戦後、連合軍総司令部がおかれた第一生命館が高層ビルと一体化された。マッカーサー元帥の執務室も保存されているが一般公開はされていない。

◆皇居外苑:戦後、皇居前広場と言われた。東西を横切る幅74mの御幸通りは、皇室行事、外国大使の信任状捧定式に儀仗馬車が通る。

◆楠木正成像:南北朝時代の南朝の武将。高村光雲らが9年かけて制作した傑作

◆第一生命館:1938(昭和13)年建築。戦後、連合軍総司令部がおかれた。1990年老朽化のため、改築された。外壁は保存され、マッカーサー元帥の執務室も保存されているが、一般公開はされていない。

◆日比谷公園:1903(明治36)年、日本初の近代洋風都市公園として開園。開園後1909(明治43)年、公園事務所だった山小屋風の木造建物が、今も都公園資料館として現役。歳月を経て満身創痍ながら、千代田区、中央区に数少ない明治時代の木造建造物である。園内の野外音楽堂などの改造計画がある。

◆日比谷シャンテ:映画館、劇場が集まり、日本のブロードウェイといわれる。

◆東京国際フォーラム:都庁が移転した跡地に1997年に建築された国際的な会議、コンベンション、コンサートが行われる。建物の一部は船を思わせる流線形。屋台村でも賑わう。

※WHOのウォーキングのコース内容は、毎回2-3回の下見や調査をして企画しています。(吉田)


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-WHO 2018年12月ご報告- 「気取らない中野江古田と新宿落合」

WHO12月例会は15日。西武新宿線新井薬師前に31人が集合。まずは「たきび」の歌の発祥の地へ。作詞者の巽聖歌が住まいの近くで見た光景を描いた歌とされています。発表されたのは、昭和16年。その竹垣も道も民家も残っていました。たき火も焼きイモも欲しい"北風ぴいぷう♬"の寒さでしたが、心はほっかりしました。
ここから北進し、新宿・西落合の鉄道模型「カトーショ―ルーム」へ向かいました。ビルの1階と2階で精巧な模型列車が立体交差しながら走り回ります。駅舎から鉄橋、沿線の木々まで揃っています。幼児がリモコンで列車を操作するのにビックリ。隣接する売場で、価格を見て、またビックリ。

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次は、哲学堂公園、世界で唯一といわれる哲学をテーマにした公園です。妙正川の北の高台にあり、森も深く地形も変化に富みます。北風を避けて陽だまりのベンチで昼食。
午後は、1477年、太田道灌と石神井城主、豊島泰経が激戦を繰り広げた古戦場跡へ。この敗戦で東京北部に勢力をもった豊島氏は滅亡に向かいました。下剋上に明け暮れる当時の武士たちを想いました。

中野歴史民俗資料館は、展示も分かりやすく、中野の歴史と生活を見ることができました。
ここからは、寺社巡り。東福寺は徳川家光、吉宗、が鷹狩りで訪れ、徳川家の御膳所が設けられた。このお成りの間は、昭和40年の本堂改築の際に取り壊され、本堂しか再建されなかったそうです。鷹狩りで苦しめられた村民の無念が伝えられていたのかもしれません。秩父、坂東、西国の札所、百か所にある薬師如来像の模像のあることから、その名のある明治寺百観音。推定樹齢600年の大イチョウのある禅定院。太田道灌が植えたと伝わる道灌杉の切り株のある沼袋氷川神社。切り株と言っても、昭和17年に枯れたわずかな木片の痕跡でした。
西武新宿線沼袋駅で午後2時半、定刻に解散しました。       

(記:吉田明弘)

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【WHO今後の予定】

2019年2月23日(土)(第4土曜)漱石の文京(ふみのみやこ)

※さまざまな事情で予定が変わることがあります。『WHOリポート』か新着情報でご確認ください。