【YMCAキャンプとの出会い】
1960年、高校2年生の時に一度だけYMCAの野尻学荘に参加しました。一緒にフォークソングをやっていた小林雄二っていう、後に一緒に「六文銭」をたちあげた同級生に誘われて、YMCAが何かも知らずに参加したのですが、苦痛でしたね(笑)。決まった時間に起きろとか寝ろとか言われるのも好きじゃなかったですし。
でも、いくつか得たものがありました。1つは水泳。それまで50mも泳げなかったのに、野尻湖を横断したんです。ぼくは「無理だ」って言ったのに「すぐにボートにあげてやるから大丈夫」って言われて泳ぎました。でも、なかなかあげてくれず、雨の降る寒い野尻湖で、必死になって泳いだわけです。ビリッケツだったけど、それをやり遂げたのは大きいことでしたね。
もう一つは歌。キャンプソングは、それまで体験したことのない歌の世界で興味深かったし、中でも「トミソング(注1)」に出会ったことは非常に大きいことでした。言葉が生きてるっていうのかな。冨岡さんの感性はとにかく新鮮で、たぶん、その後のぼくの音楽の創作に何がしかの影響を与えてくれたと思っています。
それと、ストーム(注2)。あれでずいぶん気持ちが馴染みました。最初にキャンプに来たときは、何か管理された感じを強く受けたけど、「これもありなんだ。なかなかやるじゃん」みたいなね。そういう柔らかさも取り込んでいることを感じました。
(注1:トミソング)東京YMCA少年長期キャンプ「野尻学荘」の音楽指導者であった冨岡正男(1909-2008)が作詞・作曲または編曲した歌。「美しい湖水よ」「ガチャガチャバンド」等、多くの歌が現在も全国のYMCAキャンプで愛唱されている。
(注2:ストーム)キャンプの夜中にキャンパーやリーダーが仕掛けるいたずらを指す。懲らしめるいたずらではなく、本人もキャンプ全体もそのいたずらで笑えるもの。キャビン全員の服が朝起きると旗の代わりにズラリと掲げられている等。
以上がぼくにとって最初で最後のYMCAキャンプです。でもこの体験があったので、後に娘(こむろゆい)をYMCAキャンプに行かせました。ビービー泣きながら行きましたけど、何かの体験をしてくるだろうと思って行かせました。
【30回開催した「音楽村」】
その後1966年から5年間、東京YMCA野尻キャンプ場で「野尻音楽村」というキャンプをやりました。アメリカのアートヴィレッジをまねて始めたキャンプです。音楽を愛好する学生と音楽好きなYMCAのリーダー達が集まり、音楽三昧の4日間を過ごすという、ぼくらにとっては天国のようなキャンプです。ぼくはこのキャンプのために村歌などいくつか作曲もしました。
でも何しろぼくらは「おきて破り」で、キャンプ場の規則を次々と破っては、いつもYMCAと闘ってました(笑)。「脱いだ靴を片づけない」と怒られても、「権力的に規則を守らせようとすることは、ぼくらの思想とは相いれない」とか言って。でもYMCAには、そういう議論をするだけの懐の深さがあった。本当にただ規則を押しつけるだけの施設だったら、ぼくらは何回も行かなかったでしょうね。
そうやって対立する一方でぼくらは、YMCAのキャンプのノウハウを提供していただいて、豊かな体験をすることができました。ファイヤーの火のつけ方もいろいろ楽しませてもらったり、ある時は湖の沖のボートからトランペットを吹いたこともありました。夜の湖面をわたってくるトランペットの音に、全員涙でしたね。
社会人になってしばらくは、忙しくて開催できませんでしたが、1984年からYMCA山中湖センターで、子どもも連れて家族ぐるみのファミリーキャンプ「山中湖音楽村」を始めました。この時も「片づけたい人が片づける」といった、とにかくYMCAの中では他に例をみないような型破りなキャンプだったですが、でも、YMCAじゃなければ30年間も続かなかったですよね。
【神田YMCAでのギター教室】
1970年頃に小林雄二とぼくは数年間、神田のYMCAでギター教室をやりました。何度かロビーコンサートもしましたし、「六文銭」の稽古も、YMCAの教室を借りてやってました。あの当時のYMCAは、プロテスタンティズムっていうのかな?ある種のアートとか文化的なものに対して許容的な雰囲気がありました。 担当主事とは、教室の後に必ず居酒屋に行って、白熱した議論を重ねました。YMCAを改革しようとか、もっとアートや自由が大事だよとか。自分のビジョンみたいなことを、本当に青臭く、熱っぽく語り合いましたね。それは、ある種青春とよんでもいい。その後の人生にとっても、かけがえのないプラクティスの時間といいますか、本当に刺激的な、貴重な時を過ごしました。
【トミソングの中で一番好きな曲は?】
「さるかに合戦」は面白かったですね。キャンパーが臼の役になったり、サルになったりするオペレッタで、長いけど、よくできている。あれは衝撃的だった。音楽的にすごい。一つ一つの場面に対しての言葉のチョイスと音のつけ方、リズムの変え方も、こちらが飽きることがないように作られていた。トミソングのソングブック「楽しい歌」は今も大事に持ってます。 余談ですけど、ぼくは、「エフエム世田谷」というコミュニティーFMで番組を担当しているのですが、毎年12月の最後のオンエアでは「今日の業」を歌ってます。1974年に、吉田拓郎さん、井上陽水さん、泉谷しげるさんとぼくでレコード会社を始めた時も、4人で作った記念のアルバム"クリスマス"に「今日の業」をアカペラで収録したことがあります。けっこういい4部コーラスでした。
【今後のYMCAに向けてのメッセージ】
ぼくは本当にYMCAの恩恵をこうむったと思っています。これからも、YMCAがもっている「よりゆるやかな気風」をもって、若い連中の拠り所の一つとして機能してくれることを期待したいですね。この波立つ世界情勢の中で、YMCAの役割は大きいと思います。
(聞き手:青山南海男・中里敦|文:広報室)