使命と歴史
mission and history
あらゆる人の
希望ある豊かな人生のために
活動してきたYMCA
創立者ジョージ・ウィリアムズは
キリストの「愛と奉仕の精神」に深く心を動かされ
その思いを日々の行動によって社会の中に表そうとしました。
そうして始まったのがYMCAです。
一人ひとりを大切にし、隣人に仕える心を行動に移す。
その積み重ねが、教育活動や福祉活動など
時代を切り拓く多彩な取り組みを結実させていきました。
東京 YMCA の使命
mission
東京YMCAは、イエス・キリストによって
示された愛と奉仕の精神にもとづいて、
青少年の精神、知性、身体の全人的成長を
願い、地域社会に奉仕し、公正で平和な世界を
つくるための運動を展開する。
東京 YMCA の歴史
history
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1880 年 東京 YMCA を創立
明治維新の最中、旧幕府陣営の武士階級だった 20 代の若者たちが東京YMCAを創立。
明治維新の最中、 旧幕府陣営の武士階級だった 20 代の若者たちが東京YMCAを創立。
彼らは新しい国家建設を目指し、海外の知識やキリスト教に触れながら、日本の青少年の育成を願い東京YMCAを設立しました。小崎弘道や井深梶之助、神田乃武、片岡健吉らが参画し、演説会や「六合(りくごう)雑誌」を通じて諸外国の思想や学問を広めました。 -
1890 年 英語教育の開始
「青年夜学校(後の東京YMCA英語専門学校)」を開設。仕事帰りの多くの青年たちが英語を学びました。
「青年夜学校(後の東京YMCA英語専門学校)」を開設。仕事帰りの多くの青年たちが英語を学びました。
また、文部省の要請で北米YMCAから 200 人以上の英語教師を紹介し、英語教育に貢献。第 4 代校長の石川林四郎は辞典を編纂し、発音記号を日本に導入しました。1891 年には人事相談事業、翌年には学生向け寄宿舎を設立しました。 -
1894 年 神田の青年会館の建設
北米 YMCA からJ.T.スウィフトが派遣され自身の遺産と募金を活用し、東京YMCA会館を神田に建設。
北米YMCAからJ.T.スウィフトが派遣され自身の遺産と募金を活用し、東京YMCA会館を神田に建設。
設計は、鹿鳴館やニコライ堂を設計したイギリス人のジョサイアー・コンドル。赤レンガの壮麗な会館には 1000 人を収容する大講堂がありアインシュタイン、内村鑑三、板垣退助など、数々の思想家が講演を行いました。 -
1903 年 財団法人取得
1903年、財政上も安定してきた東京YMCAは、財団法人格を取得。
1903年、財政上も安定してきた東京YMCAは、財団法人格を取得。- 初代理事長三好退蔵(最高裁長官)
- 第 2 代理事長良田亮(海軍少将)
- 第 3 代理事長安藤太郎(外交官)
- 第 4 代理事長片岡健吉(衆議院議長)
- 第 5 代理事長江原素六(麻布中学校創立者)
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1908 年 社会教育の事業の拡大
第二代総主事の山本邦之助は 1907~8 年に欧米YMCAを視察。当時のアメリカYMCAは、精神・知性・身体と社交性の向上を目的とし体育や教育など幅広い事業に子どもから成人まで多様な層が参加。
第二代総主事の山本邦之助は1907~8年に欧米YMCAを視察。当時のアメリカYMCAは、精神・知性・身体と社交性の向上を目的とし体育や教育など幅広い事業に子どもから成人まで多様な層が参加。
視察を終えて帰国した山本邦之助はYMCA主事を養成するための学校の設立に尽力し、大規模で活発な事業が展開されていくきっかけを作りました。-
職業紹介所
1921 年に、まだ行政による職業紹介所がなかった時代、1891 年から行っていた東京YMCAの人事相談事業が、公的な職業紹介所として認められました。
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市民自由大学
創立以来開催していた公開講座は、大正デモクラシーの波にのり、1922 年に「市民自由大学」として発展。
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学生寄宿舎
1892 年から始めていた学生寄宿舎を、都内 10 カ
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体育事業
1917 年に室内総合体育館を建設し、庶民が楽しめる体育事業を展開。
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職業紹介所
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1909 年 バスケットボール・
バレーボールを紹介
バスケットボールは 1891 年にアメリカのYMCA主事が、雪の季節にも青少年が楽しめるスポーツとして考案。
バスケットボールは 1891 年にアメリカのYMCA主事が、雪の季節にも青少年が楽しめるスポーツとして考案。
またバレーボールは 1895 年に、バスケットボールより幅広い年齢層が楽しめるスポーツとして創られました。日本では1909年、北米に留学していた東京YMCA主事の大森兵蔵がこれを持ち帰り、日本に普及しました。 -
1917 年 健康教育の開始
1917 年秋、日本で初めての室内温水プールを備えた総合体育館を建設。
1917 年秋、日本で初めての室内温水プールを備えた総合体育館を建設。
それまでの古代泳法に代わって、クロールなど近代泳法を日本に普及。冬場にも泳げる場所として、オリンピック水泳選手など数々の選手たちがYMCAで練習を行いました。また「兵式体操」で十分と考えられていた時代に、デンマーク体操やボウリング、ハンドボールなど、日本に馴染みのなかったスポーツも広めました。 -
1922 年 教育キャンプの開始
当時の「少年部」では、精神・知性・身体のバランスのとれた「全人教育」を行う場として、教育キャンプの研究が進められました。
当時の「少年部」では、精神・知性・身体のバランスのとれた「全人教育」を行う場として、教育キャンプの研究が進められました。
この「少年部」で委員をしていた小林弥太郎氏は、「少年たちのためにキャンプ場を作りたい」と考えて 1923 年、山中湖畔に自ら土地を購入しモーターボートや桟橋などの整った常設キャンプ場をつくり、東京YMCAに寄付しました。また、小林はその後 1932 年に野尻キャンプ場も寄付しました。1931 年には「第1回山中家族キャンプ」が開催され、 1932 年には男子中学生の長期教育キャンプ「野尻学荘」がスタート。いずれも現在にいたるまで継続されています。 -
1923 年 関東大震災
1923 年(大正 12 年)9 月 1 日、関東大震災により会館を失います。全国のYMCAと 700 の教会からの支援を受けて東京YMCAは、救護部を設置し、炊き出しなどを行ないます。また、焼け残った体育館を避難所として提供しました。
1923 年(大正 12 年)9 月 1 日、関東大震災により会館を失います。全国のYMCAと 700 の教会からの支援を受けて東京YMCAは、救護部を設置し、炊き出しなどを行ないます。また、焼け残った体育館を避難所として提供しました。
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1929 年 第2代会館の建設
多くの募金に支えられ、1929 年 12 月に第2代会館が竣工しました。
多くの募金に支えられ、1929 年 12 月に第2代会館が竣工しました。
この会館には大講堂に代わって小集会室がたくさん作られ、会員たちは、「英語社交会」「国際通信クラブ」「合唱会」「青年実業家クラブ」などたくさんのサークルを作って活動しました。第2代会館「社会部」では、職業紹介のほかに人事相談や法律相談を行ない、「食費恵与」「農林省払下白米廉売」「汽車賃恵与」「宿泊紹介」などさまざまな救済事業を実施。また、1935 年には、外国人旅行客の増加と 1940 年の東京オリンピックにそなえて、「国際ホテル学校」(現:東京YMCA国際ホテル専門学校)を開校。 -
1940-1950 年 戦中戦後
戦時中は活動も制限され、1944 年に山中湖センターには陸軍通信隊が駐屯したほか、戦後は神田会館がGHQに接収され、3年間ほど千代田区富士見町の仮会館に移ることとなりました。
戦時中は活動も制限され、1944 年に山中湖センターには陸軍通信隊が駐屯したほか、戦後は神田会館がGHQに接収され、3年間ほど千代田区富士見町の仮会館に移ることとなりました。
一方でYMCAは国際団体であることから、齊藤惣一総主事は厚生省の「引揚援護庁長官」に任命され、625 万人の在外抑留者引き揚げに貢献しました。 また、価値観が大きく転換された戦後直後には、多くの人が人生の根本的立て直しを願い、1946 年にライオン歯磨本社で昼休みに聖書を読むサークル活動が行われたのを初め、銀行など全国 56 カ所の職場で「YMCA聖書輪読運動」が行われました。また、夏の山中湖キャンプには延べ 3000 名が集うなど、活動は勢いを増していきました。 -
1950-1963 年 活動地域の拡大
1950 年には創立 70 周年を記念し、神田以外の地域のニーズにも応えようと、都内に次々と拠点を開設していきました。
1950 年には創立 70 周年を記念し、神田以外の地域のニーズにも応えようと、都内に次々と拠点を開設していきました。
各地域の人たちを新しく会員として迎え、それぞれの地域性を活かしたプログラムが展開されていきました。 また、広島、山梨、札幌、とちぎ、前橋など各地のYMCAにスタッフを派遣し、全国YMCAの発展にも力を注ぎます。全国各地の高校に「ハイスクールYMCA」が作られ、高校生が部活動のようにYMCA活動を行い、YMCAは各地に広まっていきました。 -
1964 年 参加者層の拡大
1960 年代になると参加者層はさらに広がり、1966 年には幼児体育活動を開始。
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1980 年 創立 100 周年
創立 100 周年記念式典は、諸外国のYMCA代表を迎えて盛大に開催されました。同年には、日本で最初の全日制体育系専門学校として「東京YMCA社会体育専門学校(現:東京YMCA社会体育・保育専門学校)」を開校。
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1991 年 第三代神田会館の建築
神田の3代目会館は、「国際奉仕センター」と呼ばれ、バングラデシュ、ソウル、北京、ハワイなど、海外のYMCAとの青少年交流活動や、国際協力プログラム、国際理解講座などが次々とスタートしました。 1996 年には「国立市に国際福祉専門学校(現:東京YMCA医療福祉専門学校)」を開校。
神田の3代目会館は、「国際奉仕センター」と呼ばれ、バングラデシュ、ソウル、北京、ハワイなど、海外のYMCAとの青少年交流活動や、国際協力プログラム、国際理解講座などが次々とスタートしました。 1996 年には「国立市に国際福祉専門学校(現:東京YMCA医療福祉専門学校)」を開校。
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1998 年 保育事業と行政協働
東京YMCAは戦後まもない 1951 年に「江東YMCA育心保育園」を開設して以来、幼児教育に携わってきました。現在では保育園、学童クラブなど広く子育て支援に携わっています。
東京YMCAは戦後まもない 1951 年に「江東YMCA育心保育園」を開設して以来、幼児教育に携わってきました。現在では保育園、学童クラブなど広く子育て支援に携わっています。
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チャイルドケアセンターを開設
保育所の不足する時代の 1998 年、世田谷区にチャイルドケアセンターを開設。現在では保育園、こども園、幼稚園、児童館、学童保育クラブを都内で 11 カ所展開。
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本部機能を江東区東陽に移設
2003 年、財政再建のため神田会館を売却。本部機能を江東区東陽に移しました。また同年に会員制度をあらため、会員と職員が協力して社会に必要とされる働きを推進しています。
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行政協働
2007 年には港区の「指定管理者」として、「港区立芝浦アイランド児童・高齢者交流プラザ」の運営を開始。2008 年には「江東区東雲児童館」の運営を開始。2011 年からは「江東区児童高齢者総合施設(グランチャ東雲)」の運営も担っています。
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公益活動の展開
2011 年、公益法人制度改革により認定を受けて「公益財団法人東京YMCA」になりました。さらなる公益的な活動の展開が期待されています。
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チャイルドケアセンターを開設
YMCAの歴史について
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