私は戦争直後に疎開先の山形県で生まれました。程なくして東京に戻ったものの、栄養も行き渡らず、きわめて体の弱い子どもでした。小学校の運動会は見学、遠足はお休み。一人で本を読んで過ごしていた私を心配した父親はふと、自身の学生時代に長野県の野尻湖畔で見かけた、少年たちの楽しそうなキャンプを思い出した。これが私とYMCAのキャンプ「野尻学荘」との関係の始まりです。
体も小さかった中学1年生の夏、私は大きなリュックを背負い、蒸気機関車、バス、ボートに乗って1日がかりで野尻湖の奥のキャンプ地に行きました。最初の年はほとんど泳げませんでしたが、中学3年生のときには約3キロメートルの野尻湖を泳ぎきることができました。泳いだ後、桟橋で温かい甘い紅茶を飲ませてもらったときには、本当に誇りでいっぱいだったことを覚えています。妙高登山でテント泊もし、夜の山も体験しました。
泳ぎを覚えるとヨットを教えてもらえるようになり、15歳で初めて「オメガ」という名前のヨットに乗りました。私は今でも船を操縦するのですが、3年前に買った船に「オメガ」と名前をつけさせていただきました。
1932年に始められた「野尻学荘」の標語は「限りなき成長」です。長い年月をかけて作られた理論と、大勢のボランティアの練りに練ったプログラムで、私は成長したと思います。泳ぎを覚え、船の操縦を覚え、体を鍛えることの爽快さを知り、自然、それも夜の自然が怖くないことを教えられ、そしてまた友だちが与えられました。雑事にかまけて野尻には50年近く通っていませんが、それでもまだ野尻のOBたちは、私を仲間に入れてくれています。人生の早い時期に野尻学荘に出会えたことは、その後の旅路を行く上で、非常に多くのものを与えてくれた、すばらしい教育だと思っています。
<東京YMCA賛助会会長就任演説より>「東京YMCA」2015年7/8月号掲載