東京YMCA創立140周年およびYMCAキャンプ100年を記念し、東京ボランティア・市民活動センター所長の山崎美貴子さんに、YMCAでのご経験とあわせ、これからの地域社会について伺いました。(聞き手 東京YMCA本部事務局長 山添 仰)
*2020年9月号「東京YMCA」掲載より
YMCAとの出会い
私とYMCAとの出会いは1960年頃、明治学院大学の学生だった時に、「肢体不自由児キャンプ」にボランティアとして参加したのがきっかけでした。大学の福田垂穂先生が当時、そのキャンプ長を務めていたことから参加しました。
その頃は障がい児には「就学猶予」という制度があったので、学校に通って学習する義務がなく、また通所型の施設もあまりなかったので、家から外に出る機会がまったくない、つまり家族以外の人と出会ったことがないという子どもがたくさんいた時代でした。このキャンプは、そんな子どもたちに外出の機会を作ろうと始められたもので、脳性まひやポリオの後遺症、言語障がいなど、さまざなな種類の障がいのある子どもたちが参加していました。
私は学生の間は毎年このキャンプに参加して、大学の教員になってからは学内にポスターを貼って周知し、学生を連れて参加しました。ですから、夏になるとYMCAのキャンプに行く。その前はYMCAでトレーニングを受ける。そういう日々を過ごしました。
キャンプ前のトレーニングは充実していて、キャンプの基本、肢体不自由児の心得、介護の仕方などを、小児科や整形外科の先生方など各界のベテランの方々から丁寧に教えていただきました。さらに「リーチアウト」といって、障がいのある子どもたちのお宅を訪問してキャンプに参加することを勧めたり、またキャンプ前には、食事の仕方や介助の仕方、日々どうやって過ごしているのかなどを事前にご家族から教えてもらうという研修もありました。本当に、他では得られないたくさんのことを教えていただきました。
――肢体不自由児キャンプは、今も毎日新聞社と肢体不自由児協会と東京YMCAとで共催して、毎年30人ほどの子どもたちが参加しています。
実は、私の娘も大学生の時にこの肢体不自由児キャンプに参加させていただきました。私が参加していたキャンプだとは知らずに、たまたま大学で案内を見て申し込んだのです。そして今はその子どもたち、つまり私の孫たちも、東京YMCAのシーズンキャンプに参加してます。本当にYMCAにはお世話になっています。
転機となった少女との出会い
まだボランティアを始めて間もない頃のことでしたが、キャンプで一人の中学生の女の子を担当した時のことでした。山中湖の広い芝生に寝転んだら気持ちいいだろうと思って、私はもう一人のリーダーと一緒に、その子を車椅子から降ろそうとしたんです。ところがその子は唇が紫色になって、汗びっしょりかいて、チアノーゼみたいな状態になってしまったのです。私は慌てて車いすに戻して大事には至らなかったのですが、彼女は怖かったんですね。人生で初めて家の外に出て緊張しているときに、降りたことのない車いすから降ろされて、草の上に私たちと一緒に座るというのは、彼女にとっては人生最大のビックリな出来事で、怖いことです。
私はこの時、「なんて自分は分かってないんだろう」と、心底自分に呆れかえってしまったんですね。善意はあっても、本当の意味で誠意がない。その子のことが理解できていなかった。そしてこの体験が私を変えてしまったのです。
その子自身もまた、キャンプで劇的な変化をとげました。キャンプにきていた整形外科の先生が、動かないと思っていた足が部分的に動かせることを発見された。ことばは話せなかったけれど、人への関心が高く、好奇心も強いことがわかった。そこでキャンプ後にその子は足の手術をして、さらに先生方は足で文字を打つことを考え出して、その子に文字を教えたのです。その子は口では「あーあー」しか言えなかったけれども、文章を書くほどに成長して、小児病棟の七夕祭りではその子が脚本を書いて、みんなでページェントをやりました。
これは私にとっても大きな経験でした。自分の無知や偏見によって、その子の内面を理解できなかったこと。その子が人に気持ちを伝えられるという、そんな大事な部分にも気づかないで過ごしてしまった、ということに気づいたのです。それで私は、本気で勉強しないといけないと思ったんですね。そういう意味でYMCAは、私を育ててくれた最初の入り口でした。
一番の心配は社会的な孤立
―――山崎先生はソーシャルワーカーとして、子ども・家族・地域社会を串刺しにした幅広い分野を研究の領域にされていますが、これからの社会を考えたとき、どんな課題があると思われますか。
これからの時代を考えたとき一番心配なのは、社会的な孤立の問題です。これまで日本にあった「三つの安全弁」、つまり家族、地域共同体、職場という三つの安全弁のかたちが変わり、充分に機能しにくくなっています。この三つはそれぞれに関係していて、日本にはこれまで大きく分けて三つの時代変遷がありました。
明治から昭和20年代までの日本の家族は、三世代同居の拡大家族の割合が高く、農業や漁業など第一次産業を家族単位で行なう、生産型の自営業のような家族形態が多い時代でした。明治になって工業化の波が入ってきても日本は、長子単独相続などの旧民法を制定して家制度を大切にして、教育上も「忠孝思想」を教えて、「家族」という強固な絆を守り続けました。そしてその家族が集まって地域共同体が作られて、濃密なコミュニティーが作られ、社会保障機能の一部を代替していたのです。
それが昭和30年代になると、集団就職等で首都圏、中京圏、阪神圏など大都市圏に仕事を求めて人口が大移動して、急速に都市化・工業化が進んだわけです。団地がいっぱいできて人口の7割が都市に住むようになり、それとセットで登場したのが「核家族」です。同時に、経済的にも安定していた核家族の主婦層は少子化傾向の中、子育てが終わると地域でボランティア活動を始めました。手話や点訳・朗読ボランティア、配食サービス、あるいは食品添加物や公害問題に取り組むボランティアなど、実にさまざまなボランティア活動が始まりました。私が東京ボランティアセンターに関わり始めた平成初期には、主婦層を対象に多様なボランティア講座が開かれました。その時期の女性たちがボランティアに厚みをつけていき、地域社会をどんどん耕していったのです。
「核家族」から「現代家族」へ
諸外国はこの核家族時代が長く続きましたが、日本は核家族の時代への移行が遅かったために、短期間で「現代家族」の時代になりました。まだ日本は核家族だと思っている人もいますが、結婚しない人が増え、また離婚率も増加し、ひとり親家庭、夫婦のみの世帯、同性家族など家族が多様化し、家族の機能、家族関係も変化しています。併せて、それまでは家族単位で成り立っていた地域共同体も変わってきました。特に都市部ではつながりが薄くなり、町会自治会が成立できない地域も出てきました。また同時に、家族による養育や介護ではなく、家庭外で保育や介護サービスを活用するなど「ケアの外部化」が起きてきました。家族の多様化、個人化と、ケアの外部化がミックスでおこり、合わせてコミュニティーが変化した。地域社会の役割が変化したのです。
それに追い打ちをかけるように雇用形態が多様化し、一つの企業で定年まで働く終身雇用ではなく、非正規雇用が増加し、中産階級とよばれる人たちが少なくなってきました。子どもの7人に1人が貧困家庭で育ち、沖縄では29.3%と、約3人に1人が貧困状態です。格差社会が拡がり、先行きの見えない暮らしと、人とつながることを困難にする深刻な孤立は、人間社会を不安定にします。
コロナ時代としっかり向合う
―――今年はコロナ禍もあり、さらに不確実な状況になっています。
そうですね。何ができるかよく考え抜いて、しっかりとコロナ時代に付き合わないといけません。心を柔らかくして、さまざまな工夫を重ね、新たなドアを開けていく必要があります。
先日、東京ボランティアセンターでは、このコロナ禍で、児童養護施設を卒業した子どもたちが困窮していると聞いて調査しました。現在、児童養護施設には約3万人の子どもたちがいて、18歳になると施設を卒業していきますが、一人で生活していくのは厳しいのが現実です。奨学金をもらって進学する子もいますが、中途退学の率が高く、大半が非正規雇用で働いています。そのためコロナ禍の影響も受けやすく、職を失い、頼れる実家もないまま追い詰められている実態が浮かび上がってきました。私たちは企業から寄付を得てその行方を追い、連絡のとれた2500人の若者を卒園した施設とつなぎ直そうと試みています。一人ぼっちを作らないプロジェクトの模索です。
日本の社会は、大きな変質を遂げています。彼らに限らず、家庭にも学校にも居場所がない子どもたちや、子育てに行き詰まっている親、外国籍の方、一人暮らしの高齢者など、孤立して苦しんでいる人が至る所にいます。
地域の中に支え合うシステムを
―――その中で、YMCAをはじめNPOには、これまでの地域共同体に代わる働きが求められているでしょうか。
ボランティアセンターやNPOに期待されているのは、地域の中に、見守り、つながりあい、支え合うシステムを作ることです。孤立しがちな人たちがつながりをつくれるよう支援していくことです。日本でもさまざまな市民活動が生まれてきましたが、他の国に比べるとその数はまだ圧倒的に少ないです。地域社会の支え合いを再生するには、もっともっと市民参画の力が必要です。
YMCAはまさに、家庭でもない、学校でもない、大切な地域の居場所でもあります。これからもぜひ若者たちが安心して楽しく過ごせる居場所と、キャンプなど生涯忘れることのできない体験を通じて青少年を育ててほしいと思います。
YMCAらしい光った事業を
YMCAは今、「みつかる。つながる。よくなっていく」というスローガンを掲げていますね。
どうか本気で「みつけて、つないで」いって欲しいと思います。ご飯も食べられない一人ぼっちの子どもたちは、「みつかる」のではありません。待っていては何も始まらない。孤立して困っている人はどこにいるのか。何を見つけなければならないか。議論して、調査して、「みつけて、つないで」ほしい。待ったなしの状況です。
たとえば今、「ファミリーホーム」という、児童養護施設と里親との中間のような社会福祉事業が出てきていますが、YMCAのコミュニティーセンターでもこうした事業はできるのではないでしょうか。行き詰まって、一人ぼっちになりそうな時には、必ずYMCAが手を差し伸べてくれる。みつけて、つなげてくれる。YMCAには居場所がある。そんなブランドが作れたら素晴らしいと思います。
たしかにコロナ禍で、資金難に陥っているNPOが多い時代ですが、企業の助成や募金活動などにも力を入れて、どんどん先駆的な、YMCAらしい光った事業を開拓してほしいと思います。
YMCAは行政との協働事業も多く、質のよい仕事をする団体として高い信頼を得ています。さらにワイズメンズクラブなどサポーターもたくさんいます。こんなに人材が豊富で、支援者層のすそ野が広い団体はほかにはないです。それをもっと活かし合う活動を開発してほしいです。
またもう一つ期待されるのは、災害復興支援です。YMCAはこれまでも大規模災害の際に多くの支援を行ってきましたが、これからも「東京災害ボランティアネットワーク」の共同代表として、その一翼を担っていただきたいと思います。
さらにYMCAは、国境を超えたグローバルなネットワークをもっていて、人種や宗教、性別、障がいなど、さまざまな違いを超えている組織だという点も大きな魅力です。欧米では「カルチュラル・コンピテンス」といって、LGBTや人種の問題など多様性を理解することがソーシャルワーカーなどの資格取得要件になっています。近く日本でも導入されつつあります。外国籍の方や障がいのある方などさまざまな人が集うYMCAは、違いによる差別や排除のない社会を作るために、心理的・物理的な距離を縮めて行く役割もあると思っています。
―――YMCAの正章には「みんなのものが一つとなるように」という聖句が記されています。キリスト教を基盤としながら、宗教の違いを超え、また国家や人種、年齢や性別の違いを超えてつながっていくことを、モットーとしています。
すばらしいミッションです。そういうYMCAらしい、これぞYMCAのミッションだという事業をやり続けることは、手間はかかるんですけれど、そこに携わる職員・会員が育っていくという強みもあります。キャンプで私を育ててくださったように、これからも多くの人を育て、希望ある社会を創ってほしいと期待しています。
(まとめ・広報室)