杉並
ウォーキングのご案内 ~見沼田んぼの桜並木と花々~(WHO)3/31
「ウォーキング・ホリデー・オギクボ(WHO)」は、月に1度、東京近郊を歩く会です。 健康作りや仲間作りを目的に1997年に開始。以後20年余、会員ボランティアが中心となって、欠かさず開催しています。
第217回となる2018年3月は、さいたま市郊外に広がる見沼田んぼをめぐります。
どうぞお気軽にご参加ください。
==【2018年3月のご案内】==
さいたま市郊外に広がる見沼田んぼは、江戸時代に開拓され、首都圏に残る1,260万㎡の田園緑地空間です。東西2本の見沼代用水の土手には、この時季、満開の桜並木が続きます。サクラのサは、「田の神」のこと、クラは、「座」を意味します。田の神がサクラの姿をして現れるのを迎える場は、田んぼが一番ふさわしいのかもしれません。
道端には春の花が、今を盛りと咲き始めます。春の日差しを受けて、五感を全開して歩きましょう。
【日にち】2018年3月31日(※第5土曜) 10:00~14:30頃
【コース】
JR武蔵野線・東浦和駅 ⇒ 見沼代用水西縁 ⇒ 見沼通船堀(閘門) ⇒ 鈴木家住宅 ⇒ 附島氷川女体神社⇒ 見沼代用水東縁 ⇒ 木曾路の富士塚⇒ 斜面林 ⇒ 川口自然公園 ⇒ 自然の家 ⇒ 園芸植物公園 ⇒ 浦和くらしの博物館民家園 ⇒ バス停・念仏橋 ⇒ <バス> ⇒ JR浦和駅
【集 合】JR武蔵野線・東浦和駅 10:00集合
JR京浜東北線の浦和駅でJR武蔵野線に乗り換えて1つ目。JR埼京線なら武蔵浦和駅で乗り換えて2つ目。決して遠くはありません。
【解 散】JR京浜東北線・浦和駅 14:30
【持ち物】弁当、飲料(かならず)、敷物、雨具、防寒具、名札
*お弁当は集合前に必ず準備してください。歩き出したら買う時間はありません。
【参加費】300円 (施設入場料と交通費は個人負担)
*初参加の方は、名札代200円別途。
【問合せ】東京YMCA杉並センター
*事前の予約は不要です。現地に集合ください。
*ご不明な点などありましたら、下記フォームからご連絡ください。
【今回のみどころ】
なによりも江戸時代に開拓された広大な農業風景がみどころ。農業構造が変化し、果実、園芸植物の苗木を栽培する家が増え多くの花木を観ることができる。
◆見沼田んぼ:さいたま市の郊外、首都圏に残された1260万㎡の田園風景。江戸時代初期に芝川に堤で堰きとめ灌漑用溜池としたが、1728年(享保13)年、利根川から東西二本の見沼代用水を開削し、堤を切り溜池を干拓し、新田開発を行った。現在は、宅地化しないという原則が制定され、保全されている。
◆鈴木家住宅:通船の許可を受け、船を曳航する人の差配などをした旧家。
◆通船堀閘門:東西の代用水と芝川の約3ⅿの水位差を解消するために設けた閘門。1914(大正3)年に完成したパナマ運河と規模は全く違うが、同構造で1731年(享保16)年に完成した。国の指定史跡。
◆木曾路富士:1800(文政12)年に富士講信者によって築かれた。富士山に模し、登山道、火口もあり、お鉢巡りもできる。
◆川口自然公園:ヨシが生い茂る池が中心の公園。野鳥観察ができる。
◆大崎園芸植物園:花木園。見本庭園、温室がある。ロウバイに始まり、季節の花がたえることがない。見本庭園は、家の庭を造園したい人には参考になる。この地域の農業者トレーニング、支援センターでもある。
◆浦和くらしの博物館民家園:江戸中期以降の農家、商家、大正時代の農協倉庫など7棟を移築・復元し生活用品、農具を展示している。
-WHO 2018年2月ご報告- 「小江戸・川越の Old & New」
2月4日は、寒気が緩み、春の気配を感じる隅田川の水面をながめながら永代橋から両国橋まで歩きました。参加は34人。
このコースには、いくつものテーマが作れます。今回は、関東大震災後の復興の象徴となった橋梁にポイントを合わせました。併せて、東京グリーンワイズメンズクラブの会員・樋口英順さんが、橋に関わる北斎、広重の浮世絵のコピーを示しながら、描かれた時代の風景を解説。簡潔、明解な語りが好評でした。
大震災後の東京の海の玄関口に再建された永代橋は、どっしりと力強く、男性的。復興に向けての強い決意が感じられます。堤上からと橋梁をくぐり、水面近くから眺めました。
復興に向けての強い決意が感じられました。赤穂浪士が本懐を遂げて泉岳寺に向かう途次、迎え入れて甘酒粥をふるまった味噌屋が佐賀町にあります。主人竹口作兵衛が四十七士のひとり、大高源吾と其角門下の俳諧仲間だったとは言え、明らかにご政道に背くこの行動の背後には、何があったのでしょうか。
ドイツ・ケルンの吊り橋を模した清洲橋は、永代橋とは対照的に優美。人気があるのが分かります。橋を往復してから清澄公園を横切り清澄庭園に入園しました。もともと両園は、紀伊国屋文左衛門邸跡といわれ、明治以降は、三菱財閥岩崎家の所有となり、全国の名石,奇岩を集めた明治期を代表する回遊式林泉庭園でしたが、関東大震災被災後、半分以上を公園敷地として東京市に寄付され、庭園と公園に二分されたそうです。
昼食は、冬景色の日本庭園のベンチで。緋寒桜の蕾が大きく膨らんでいました。
道をさらに北へとり、家康が拓いた小名木川の萬年橋付近で、芭蕉稲荷を巡り、小高い芭蕉記念公園から、北斎描く富岳三十六景『萬年橋』の富士山の方向にある清洲橋を眺めました。隅田川テラスには釣り人が糸を垂れていましたが、魚信はないようにも見えました。
竪川水門で堤に上り、一之橋を渡って両国の町に。大相撲の春日野部屋の前を抜けて両国橋へ。橋柱や歩道に土俵や花火の尺玉などの意匠が施されているのを知りました。
両国橋をくぐり、対岸の柳橋と神田川河口を眺め、総武線鉄道橋をくぐってから堤に上ったところで解散しました。歩数計は13,000歩、予定にあった安田記念公園が残り、1時間も早い解散でしたが、堤を上り、リバーテラスに降りるアップダウンの繰り返しが結構辛く、これを限度とみました。
(記:吉田明弘)
【WHO今後の予定】
2018年4月28日(土)目黒川下流・天王洲まで
※さまざまな事情で予定が変わることがあります。『WHOリポート』か新着情報でご確認ください。