杉並
ウォーキングのご案内 ~雀より鶯の多い根岸かな~(WHO)1/25
「ウォーキング・ホリデー・オギクボ(WHO)」は、月に1度、東京近郊を歩く会です。 健康作りや仲間作りを目的に1997年に開始。以後20年余、会員ボランティアが中心となって、欠かさず開催しています。
第236回となる2020年1月は、江戸から明治にかけて文人墨客が好んで住んだ根岸を巡ります。
どうぞお気軽にご参加ください。
==【2020年1月のご案内】==
「雀より鶯の多い根岸かな」
この句は、下谷区根岸に10年住んだ正岡子規の句です。根岸は、賑わいの上野山の北麓にあって、入谷の田んぼが望め、音無川の清流もあり、東叡山(三山管領宮)寛永寺貫主、輪王寺宮の隠居所や加賀前田家下屋敷があったりして、江戸から明治にかけて、「根岸の里の侘び住まい」と言われ、文人墨客が好んで住みました。今回は、子規の句を味わいつつ、そんな面影を発見しながら歩きましょう。
子規庵の病室兼書斎にあった机。ひざが悪く 立膝のために一部切りおとされている。 |
平安時代の歌人小野篁(書家小野道風の祖父) が祭神の小野照崎神社 |
子規庵の病室兼書斎にあった机。ひざが悪く立膝のために一部切りおとされている。 |
平安時代の歌人小野篁(書家小野道風の祖父)が祭神の小野照崎神社 |
【日にち】2020年1月25日(第4土曜) 9:45~14:30頃
【コース】JR鶯谷駅⇒元三島神社⇒庚申塔⇒笹之雪⇒八二神社⇒(三平堂)⇒御陰殿跡(薬師寺)⇒書道博物館⇒子規庵⇒寛永寺陸橋⇒(寛永寺)⇒国際子ども図書館⇒(両太師堂)⇒凌雲橋⇒千手院⇒西蔵院⇒世尊寺⇒不動尊⇒小野崎照神社⇒入谷鬼子母神⇒メトロ日比谷線入谷駅
(コースの一部を変更もあります)
※昼食をとる目的で上野山の国際子ども図書館に行きます。寛永寺などは通過するだけ。改めて上野山コースを計画します。
【集 合】JR鶯谷駅 北口改札前 9:45
【解 散】メトロ日比谷線 入谷駅 14:30頃
【持ち物】弁当、飲料、敷物、名札。
*名札の裏面には、緊急連絡先を必ず記入してください。
*お弁当は出発前に必ず用意してください。
【参加費】300円
*初参加の方は、名札代200円別途。
*施設入場料、交通費は別途
【問合せ】東京YMCA杉並センター
*事前の予約は不要です。現地に集合ください。
*ご不明な点などありましたら、下記フォームからご連絡ください。
【今回のみどころ】
元三島神社:下谷七福神の壽老神。徳川家から所領拝受。子規の句に「木(む)槿(くげ)咲く絵師の家問ふ三嶋前」がある。
御陰殿跡:東叡山、日光山、比叡山のトップ、輪王寺宮は代々親王など宮家が継いだ。公務は上野山の寛永寺本殿で行い、ここは約3千数百坪の隠居所だった。維新の戦火で焼失し、敷地は鉄道用地となり、現在、跡の碑が根岸薬師堂にある。
子規の句「凧上ぐる子守女や御院田」
笹乃雪:江戸で初めて絹ごし豆腐を製造した豆腐料理店。輪王寺宮が「笹の上に積りし雪のよう」と絶賛したことが名の由来。
子規庵:明治の俳句・短歌の改革者正岡子規が8年住んだ旧前田候の御家人長屋。戦災に遭い再建された。彼は,病臥しつつ創作と文学の近代化のための情報発信のために精魂を傾けた。門人の高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節らが集い、友人の夏目漱石、森鴎外、与謝野鉄幹らが訪ねた。彼の文机の前に座り、硝子戸越しの糸瓜(へちま)棚を眺めてみたい。「椎の実を拾いにくるや隣の子」入館料500円。
書道博物館:書家であり、洋画家であった中村不析が昭和11年に開館した、国の重要文化財12点、重要美術品5点を含む日本と中国の書と、亀骨、青銅器、獣骨文、瓦当、硯、経巻文書、碑拓法帖など貴重なコレクションがある。60年間中村家によって維持管理されていたが、平成7年に台東区に寄贈された。現在、東京国立博物館と連携企画『(蘇州の)文微明生誕500年記念展』を開催中。入館料300円。
国際子ども図書館:明治5年の建築された元帝国図書館の建物。今回は中庭で昼食。
御行の松跡:西蔵院不動尊の松。江戸名松に数えられ、現在は三代目。円朝の落語『お若伊之助」にちなむ狸塚がある。
入谷の鬼子母神:万治2(1659)年創建。「恐れ入りやの鬼子母神」と歌われた江戸三鬼子母神のひとつ。下谷七福神の福禄寿。毎年7月の朝顔市には120店もが出店して賑わう。境内では「鬼」の字の「ツノ」は付けない。
世尊寺:応安5年(1373)年開基と言われる根岸で最古の寺。
小野照崎神社:祭神は平安前期の学者で歌人の小野篁。名書家・小野道風の祖父。境内の冨士塚は文政11(1828)年に富士山から岩石を運び築造した。
御陰殿跡(根岸薬師寺) |
前田侯爵邸にあった神社「八二神社」 |
御陰殿跡(根岸薬師寺) |
前田侯爵邸にあった神社「八二神社」 |
-WHO 2019年12月ご報告- 「樋口一葉の世界、本郷、下谷」
12月21日は冷え込みました。転居の多かった樋口一葉が24歳の生涯のうち、本郷3か所、下谷竜泉寺の旧居跡と、記念館、作品に登場した社寺などを訪ねました。参加者は、41人。JR御茶ノ水駅に集合。丸の内線で本郷三丁目駅まで移動し、東大赤門から出発。まずは、一葉が幼少時代を役人だった父のもとで育った法真寺そばの桜木の舎跡へ。ここから菊坂に出て、下ります。2つの角を左右に曲がると裏菊坂です。目立たない喫茶店「ひとは」の先の細い路地を左に入ると、一葉が父の死後、母と妹を養うため苦しいやりくりをした旧居跡。この付近は明治時代の地割はそのままで、場所は特定されているのでしょうが、公表されていません。近所と共同で使ったといわれる井戸を見て折り返します。付近は、家が立て込んだ住宅地。小グループに分かれて、静かに歩きます。
菊坂に戻り、一葉が通った伊勢屋質店へ。店舗も土蔵も健在で、今は跡見学園の所有となり管理、公開されています。
菊坂下から白山通りを北上すると「一葉終焉の地」の石碑が道路脇にあります。ここは、次々に代表作を発表し、「奇跡の15か月」と言われる福山丸山町時代の旧居跡です。相変わらず質屋通いをしたようですが、訪ねてきた島崎藤村らには鰻をとって振舞ったそうで、なにかホッとした気になります。
礫川公園で昼食休憩の後、北斎の浮世絵『礫川雪雪ノ旦(あした)』の解説に納得してから、大江戸線と日比谷線を乗り継いで三ノ輪駅へ移動。投げ込み寺(浄閑寺)、目黄不動、千束稲荷神社を経て、台東区立一葉記念館へ。ここは、菊坂と福山丸山町時代の間に、一葉が生活を立て直すために転居した下谷竜泉寺の一角です。教室で学芸員の20分の解説を聴き、各自展示を観ました。資料が充実し、展示も理解しやすい記念館でした。
一葉が駄菓子と雑貨荒物を扱った旧居跡は、両側に50店もが連なる商店街だったようです。吉原遊廓への一本道でした。遊廓に行き帰りする人や車がしきりだったようです。彼女は、再び文筆で生計を立てる決心をして、本郷に戻りましたが、ここでの僅か9か月の人々との会話や観察が、その後の一葉文学に大きな影響を与えたといわれます。
この後、下谷飛不動、鷲神社を訪ね、千束バス停で解散しました。
(吉田)
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